国語ができない原因を考える(2)
まず、音読すること。大人がそばにいて読みをチェックしてあげること。その際に読めない字にはフリガナをふる習慣を子ども自身が身につけることが肝心だと前回述べました。しかし、「読書百遍、意おのずから通ず」といった音読至上主義に陥ることがあってはいけません。言葉の音やリズムに慣れることは言語学習の基礎となり得るものでしょうが、意味との対応をおおまかにでも行う必要があります。今回は意味レベルでの躓き(つまづき)について考えます。2意味レベル とりあえず大体声に出して読めるけど、言葉の意味がわからないから文章がよくわからないという段階があります。1つの解決策は辞書を使っての意味調べで語彙(ごい)を増やすことです。義務教育で特に小学校では意味調べノートを先生に作らされた経験のある方も多いでしょう。日常会話では「がっかりした」「怒った」というのに、文章では「落胆した」「憤然とした」などとなっていることがあります。そうした「書き言葉」に慣れていないために文章が読めないということが起こります。教え子の小学生で、ホントに国語が苦手な子がおりまして、毎日、新聞のコラムを読みながら、わからない言葉を片端から調べてはノートを作り、お父さんにみてもらうという学習を3ヶ月以上続けました。塾の予習以外に取り組んでいたのですからすごいことです。夏前に始めて秋風の吹く頃にはかなり国語の成績も安定してきました。 この逸話でコラムを読んでただ辞書を引きさえすればよいとは考えないで下さい。大事なことはその辞書引きにお父さんが付き合ったことです。文章を読みながら辞書を引いても、辞書に意味のわからない言葉が出てきて、さらにそのわからない言葉の意味を引いて……の堂々巡りでいやになってしまう、そんな経験を持っていらっしゃる方も多いと思います。また、大人用の辞書を使っているために余計な苦労をすることもあります。辞書はよくよく選ばないと子どもは苦労します。辞書を引いても意味がわからないとき、子どもの経験に応じて、もう一度意味をかみ砕いてくれるそんな大人、もしくは指導者との対話を通じた関わりが必要なのです。その役割をお父さんが果たされたということでしょう。授業でも子どもたちが調べてきた意味をとりあげてめいめいに発表してもらう機会がよくありますが、とんでもなく大人びた意味をノートに書いて来る子がいます。そんなときは少しかみ砕いて板書することにしています。 余談ですが、前記の「書き言葉」に関して、主観と客観、具体と抽象、絶対と相対、創造と模倣など論説文の読解で説明しなければいけないような言葉がわかっていたら、その子はもう受験国語を勉強する必要もないレベルだと思ったりもします。 ところで、言葉の意味をつかむために私たちはそんなに頻繁に辞書を引くでしょうか。さらに、大人は言葉の意味をそんなに明確に説明できるでしょうか。新聞を大人が読んでも使われている言葉を100パーセント理解している人はいないでしょう。新聞には結構、専門用語が使われていて自分の専門以外はなかなかわからないことが多い。それでも内容の7,8割は理解し新聞の内容がわからなかったとこぼす人はいないのではないでしょうか。大人と子どもの違いは語彙力の違いもさることながら、文脈にそって意味は大体こうなのだろうと類推が働くことです。辞書を引くよりも文章を読んだり耳で聞いて、文脈での使われ方を学びながら身につけた言葉のほうが圧倒的に多いのです。 「イガイ」という漢字を書きなさいと言われて子どもなら学校で習ったばかりの「以外」を思いつくかもしれませんが、大人は少し戸惑う。「意外」も「遺骸」もあるし、文脈で判断するしかないと。ですから、漢字や言葉の学習で例文と一緒に練習することはとても大切です。「意外」を例文を見ずに10回書き取り練習したとしても漢字は書けるようになるかもしれませんが、「以外」との区別はわからずじまい。あとは辞書を引くしかありません。用例で言葉の意味を確認する、または日常生活の中で意味をおぼろげながら確かめていくというのは大切なことではないでしょうか。 最後に一例。授業で「切ない」という言葉の意味を子どもと考えたことがあります。辞書を使わず、例を出してもらいながら意味をとらえようとしたのですが、「切ない恋の物語」というのが挙がりました。その「切ない」ってどういうことと聞くと、その子は「恥ずかしい」という意味だというのです。なるほど、そういう意味でとらえることもあるのかと感心しましたが、「悲しい」を中心に「しんどい」とか「つらい」とかも出てきました。辞書の意味は「悲しくてつらいこと」ですから、子どもたちは生活の中で聞いた使い方で意味をほぼ捉えていたことになります。 言葉の意味が分からなくて文章が読めないとき、辞書を引いたり漢字の勉強で語彙を増やしておくのは1つの手ですが、語彙の多くは日常生活の言語体験によるものです。いちいち辞書を引かなくても語彙力がつくことは変に子どもを追い詰めないためにも知っておいたほうがよい事実です。国語という教科だけで国語力がつくと考えていると足元をすくわれます。私が漫画を読んで覚えた言葉がたくさんあるということの言い訳になるかもしれませんが。 つづく。【今回の記事が役に立ったと思う方はクリックお願いします。】→ と