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やちまた道

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旅の達人と言われる人たちに憧れる。
現代で言うと、宮本常一。
彼が各地の民俗を蒐集するために歩いた場所をプロットすると日本地図は真っ赤になると言う、すごいお方。とにかく文章も素朴で心に沁みいるものなので、一読の価値あり。

そんな宮本常一の遠い民俗学の先輩にあたるのが、江戸時代の旅の達人・菅江真澄。
愛知県で生まれながら、46年にわたって東北、北海道の旅に生きた。真の旅の記録を膨大な紀行文と地誌、図絵にのこし,最期は、秋田県で客死した。(秋田藩校明徳館に納められた「菅江真澄遊覧記」89冊は、重要文化財となっています。)柳田国男にして「民族学の祖」と言わしめたすごい旅の達人だ。

なんか、中部から東北へという流れ方にシンパシーを感じて、いろいろ調べたことがある。真澄の記録には、下北や岩手の県北では稲をほとんど見ることができず、粟畑や稗田ばかりであると書いてある。そして、鉱夫やマタギ、漁夫やカタイ、遊女などが随所に登場する。柳田国男的民俗学によって定式化された稲作民による「ひとつの日本」からはみ出した豊かな日本人像が広がっていて、実に魅力的だ。

そして、アイヌ人への興味。真澄の生きた時代、北海道は蝦夷が島と呼ばれアイヌの人々が生活していた。真澄は出入りを厳しく制限されていた島へわたり数年滞在しアイヌの生活を記録した。ロシアの交流も克明に書かれており、この時代、北の方では多様な民族、文化の交流があったことがわかる。

最近、そんな菅江真澄の写真コンテスト応募のポスターが街に張ってあるのを見た。彼の由縁のある秋田のスポットで写真を撮って応募しよう、というものだ。期限は7月か。ひさしぶりに秋田に行って、写真でも撮ってくるかな。

でもうちのぽんこつ車、長旅大丈夫かな~。





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最終更新日  2007年04月05日 09時08分55秒
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