|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ベリーの搾乳、朝夕二回で3,370g/25h・135g/h。
今日は65回目の終戦記念日、日本が第二次世界大戦を武器を作る金属や飛行機を飛ばす燃料まで底を突きながらも諦めず、最後まで戦い続けて敗れた日の記念日です。 そんな資源の少ない敗戦国の日本が戦後戦勝国を凌ぐ勢いで復興出来たのは一体どうしてなのでしょうか? 小学校の社会科の時間、担任の先生に教えて頂いた記憶では、「平和憲法により軍事費用負担が無くなった事と朝鮮特需によって日本経済が急激に立ち直れたからだ」と教わりました。 末っ子の私は戦争も戦前の教育も知りません。 麦ご飯を食べ、脱脂粉乳も飲んで育ちましたが、両親が居て兄二人に姉も居て ひもじい思い や寂しい思いだけはしなくて済みました。 でも、毎週?火曜日は電気休みが有ったりしていましたので世の中全体はまだまだ厳しい経済 情勢だったのだろうと思います。 在日一世の方達がアカガネ(銅)やシロガネ(アルミ)を買いに家々を訪ね歩き、私達子供は いつも下を見て歩いていたようです。 銅線の切れ端等が有れば子供でも小銭に換えられたのです。 山に行って薪集めも手伝っていました。(手伝いは小遣いとは結び付きません) すると松の大木の根っ子には松根油(ショウコンユ)を採集するために傷つけたと言われる傷 痕を見る事も出来ました。 航空ガソリンの原料としての利用が試みられ、戦時中の日本の窮乏ぶりを自分の目で見て後追 い体験出来た傷跡です。 今思うと、「朝鮮特需」って田舎の子供達まで届けたのは、片言の日本語を話すあの「ボロ買 いのおいちゃん」だったのかも知れません。 「朝鮮特需」って Wikipediaで改めて勉強すると『朝鮮特需の47億ドルがいわば「総売り上 げ」としての額であるならば、税支出としての47億ドルは「純益」から支払ったに等しい。』 <一部抜粋>と有りました。 戦いで支払った代償は人命だけではなく、勿論経済だけでもない、世の中のもの全てであり、 取り返しは今も出来ない傷痕としてアッチコッチに残っているものなんですね。 子供達への正しい教育は国の重要な使命です。 個々の体験はいずれ風化し、歴史教育では事実を歪められる事や省略される事もまた現実です。 戦争体験者の生の声をきちんと偏らずに残して欲しいし、教育もして頂きたいです。 それは国だけではなく、体験者一人一人の使命でも有る筈です。 貴方の体験は貴方しか知らないのだから。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|