偐万葉田舎家持歌集

2016/02/14(日)23:36

京都から奥琵琶湖へ(3)

銀輪万葉(673)

(承前)  菅浦で道は行き止まりとなる。その先の葛籠尾崎(つづらおざき)へと回り込む道はないのである。反対側の塩津へは「奥琵琶湖パークウェイ」で行くこととなる。何年か前に長浜を出発し、塩津からこの道を通って菅浦、大浦、マキノ、安曇川、新旭と走ったことがあるが、今回はパークウェイはパスして置く。 (東四足門) この東四足門から先は道がなく、湖岸沿いに鉄板を敷いた簡易通路のようなものがあるが、「通行禁止」となっている。止むなく引き返すことに。村の道沿いにある寺などを覗きながら、ゆっくりと引き返す。小さな集落なのに寺がやたらに多いのは何故なんでしょう。 (真蔵院) (安相寺) (「浅井長政所縁の寺」とある。) (阿弥陀寺) (同上) (長福寺跡) 石碑には「淳仁天皇菩提寺菅浦山長福寺跡」とある。淳仁天皇(大炊王)とこの地はどういう因縁があるのでありましょうか。大炊王は、父・舎人皇子と母・当麻真人山背との間の子であるから、母方もこの地とは無関係。淳仁に仕えていた人達が隠れ住んだのでもあろうか。 (菅浦にお別れして大浦へと、来た道を引き返す。) (またも彼岸花)  路の辺の 壱師の花の いちしろく             人皆知りぬ 我が恋妻を                  (万葉集巻11-2480 柿本人麻呂歌集) (ススキの穂が風に光る。) 人皆は 萩を秋と云ふ 縦(よ)しわれは          尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (万葉集巻10-2110) (はつかに色づく葉もありて) (やや日も傾き、湖面の輝きが増す。) 大浦が近くなる。大浦川を渡り、海津大崎を目指して走る。こちらもなかなかいい風景である。 (大浦川) (何とはないが建物もいい雰囲気を醸している。)  花と琵琶湖二題  コスモスの 花は揺れけり 夕風の             さきにぞ見ゆる つづら尾の崎 (偐家持)(イタドリ) 上の彼岸花の処で挙げた万葉歌の「壱師」は「彼岸花」ではなく、この「イタドリ」(すかんぽ)の花だという説もあるようだが、連れは彼岸花よりもイタドリの方が歌にしっくり来ると言っていました。 (再び、竹生島が網代木の向こうに・・。) 網代木( あじろぎ)に 寄す波の音( と)も 今は絶え            竹生(ちくぶ)の島は 寝にやつくらむ (偐家持) (海津大崎は桜の名所。立派な桜並木が続く。) (トンネル) トンネルを潜って暫く行くと雨がポツリ、ポツリ。予報では夜には雨とのことであったので、本降りになる前にとホテルに引き返すことに。トンネルを出た処ですれ違った自転車の男性と二本松水泳場の手前でまたすれ違う。雨が降り出したので彼も引き返して来たと見える。 (GFC奥琵琶湖・今回の宿) 予報通り、夜になって本降りの雨。明日の空模様が気に掛かるが、これは天に任すしかない(笑)。 ホテルで朝食を済ませて外に出るとすっかり晴れて、山々に雲立ち昇るのでありました。では、今日は大浦川沿いを走ってみるか。  大浦川に沿って行くと自然に永原駅の前に出る。駅を通り過ぎ、どんどん北へと、長閑な田園風景の中を走る。大浦街道に出て山門まで走り、Uターン。ずっと行くと以前行ったことのある深坂古道に至るのであるが、今回はパスです。永原駅に戻り、トレンクルをたたみ、電車で帰途につく。以上で奥琵琶湖銀輪散歩終了です。三日間もお付き合い下さり有難うございました。 (JR永原駅) (大浦川沿いの道。風もさやかに吹いている。) (この道をずっと行けば、沓掛から深坂古道へ続くのであるか。)(湖北サイクルロードの標識) (永原駅ホームから琵琶湖方面を望む。川は大浦川である。) 

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