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偐万葉田舎家持歌集

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2010.09.30
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カテゴリ:銀輪万葉

 今日は奥琵琶湖銀輪秋逍遥です。京都から永原へは敦賀行き新快速で1時間数分。
 JR
湖西線永原下車。ひとまず宿の「GFC奥琵琶湖」に立ち寄り、荷物を部屋に置いて、持参の自転車・トレンクルを組み立て、大浦・菅浦へと走る。

奥琵琶湖.jpg
​(いざ出発。琵琶湖を眺めながら湖岸の道を走る。)​

 先ず、大浦にある「丸子船の館」に立ち寄ることとする。

丸子船の館 (3).jpg
​(丸子船)​

 丸子船というのは、二つ割にした丸太を胴の両側に取り付けた琵琶湖独特の船にて、北陸と京、大阪とをつなぐ湖上水運に活躍した。最盛期の江戸時代には、1400隻が湖上を往来していたとのこと。展示されているのは現存する2隻のうちの1隻だそうな。と申し上げてもイメージしにくいでしょうから、館内展示のジオラマ(下掲)をご覧下さい。

丸子船の館 (6).jpg

 大浦から菅浦へと自転車を走らせる。湖面を渡り来る風は秋風にて冷んやりと肌に心地良い。沖には竹生島も見えている。岸辺に立てばさやさやと寄せる波の音。水は澄み、人影絶えて閑寂な秋の風景。しばし、写真でそれをお楽しみ下さいませ。

大浦から菅浦へ.jpg
(大浦から菅浦へ)
大浦から菅浦へ (2).jpg
(琵琶湖もこの辺りまで来ると、のんびりした気分になる。)

 ヒガンバナも今を盛りと咲いていました。琵琶湖に花はよく似合う。

大浦から菅浦へ (3).jpg

 北淡海 花こそ似合へ 寄す波の
        音も連れなり 秋をし行かむ (偐家持)

大浦から菅浦へ (4).jpg

 彼岸花にはクロアゲハでしょうか、蝶が遊びに来ています。

大浦から菅浦へ (6).jpg

大浦から菅浦へ (7).jpg

 金色​(   こんじき)​の 稲田のさきの にほの海
          青み悲しき 秋の日照れば (偐家持)​

大浦から菅浦へ (8).jpg
​(走っている道はこんな道ですが、行き合う車も殆どない。)​

大浦から菅浦へ (9).jpg
​(青葉越しの琵琶湖もいい。)​

大浦から菅浦へ (10).jpg
​(対岸の岬が海津大崎。遠くには比良の山々が青く。)​

 大浦からは半島の陰になって見えなかった竹生島が見えて来る。間もなく菅浦の里である。

大浦から菅浦へ (11).jpg
(竹生島)
大浦から菅浦へ (12).jpg

 菅浦の集落が見えて来た。浜辺の小舟の上で何やら作業をしている麦藁帽子の男性。こういうものも絵になってしまう長閑な風景である。

菅浦.jpg
​(菅浦の集落。上に見える道が琵琶湖パークウェイ。)​

 琵琶湖パークウェイとの分岐を右に行くと菅浦の集落である。入口に茅葺の小さな門がある。昔はこれが集落の入口であったのでしょう。

菅浦 (2).jpg
(西四足門)
菅浦 (3).jpg

 菅浦は葛籠尾崎(つづらおさき)の半島の西側小湾入部にへばりついたようにしてある小さな集落。かつては陸の孤島とも呼ばれたそうだが、今は琵琶湖パークウエイが開通していてそういうこともない。それでも、集落に入ると今尚別の時間が流れているような不思議な気分になる「隠れ里」ではあるようだ。

菅浦 (5).jpg
(須賀神社)
菅浦 (20).jpg

 村にある須賀神社には淳仁天皇が祀られている。これは天平宝字8年(764)藤原仲麻呂の乱後に帝位を剥奪された淳仁が行在したという伝説によるらしい。孝謙上皇の寵愛を受けた道鏡に政治の実権が移ってゆくことに焦った仲麻呂が権力を自己に取り戻すべく孝謙の排除を目論んだのが「仲麻呂の乱」であるが、仲麻呂に擁立された天皇である淳仁としては、この乱に際してどっちつかずの立場をとるしかなかった。そのことで孝謙の怒りを買い、乱後に廃帝となり淡路島に流される。淳仁は淡路で没したとされ、宮内庁が淳仁天皇陵とするものも淡路島にあるのだが、この地ではそうではないらしい。須賀神社の本殿はその石組の形から舟形御陵と呼ばれ、淳仁の御陵とされているのだから。

菅浦 (7).jpg

 参道の坂道を登って行くと石段があって、これより先土足禁止とある。かくてヤカモチも靴を脱いで石段を登って行くのでありました。

菅浦 (11).jpg
​(大伴足持?)​
菅浦 (10).jpg
(拝殿)
菅浦 (9).jpg
(本殿)
菅浦 (8).jpg
(裸足でも行けるよう飛び石がある。)

 須賀神社の参道の途中に菅浦郷土資料館がある(日曜日のみ開館)が、その前庭に万葉歌碑がありました。


(万葉歌碑)
<2013年4月27日追記:菅浦を旅行中の友人利◎氏から本日メールがあり、上の万葉歌碑の写真を送って来て下さいましたので、写真を差し替えることとしました。コチラの方が鮮明なので。>

​​ 高島の あどのみなとを 漕ぎ過ぎて
        
​塩津菅浦​(しほつすがうら) 今かこぐらむ (巻9-1734 小弁(こべん)​​​

(高島の阿渡の港を漕ぎ過ぎて、塩津菅浦の辺りを今頃は漕いでいるだろうか。)

 鎌倉時代から明治初期にかけて作られた村落や漁村生活を記録した「菅浦文書」(全65冊)がのこされていて、菅浦郷土資料館に保存されている。
 それによれば、隣接の大浦荘が寺門(園城寺派)の円満院領であったのに対抗して、菅浦は平安末期には全村が竹生島の神領となり、建長4年(1252)には山門(延暦寺派)の檀那院領になったとのこと。
 また、この頃、菅浦の住民は禁裏の供御人をもつとめ、南北朝期から室町時代には、惣と呼ばれる厳しい自治体制がとられていたとのこと。村の出入口に立つ門(四足門)がそのことを偲ばせもする。
 江戸時代までは、四足門の内によそ者は住めず、地区で火事を出したり、道理に反する行為をした一家は地区外に追放するなどという厳しい掟があったそうな。

 字数制限です。続きはまた明日です。

<追記・注>
「万葉歌碑」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。
過去記事の写真が歪んでいたりすること​ 2020.10.12.

 

 






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最終更新日  2020.11.13 20:54:26
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