|
カテゴリ:日本史と世界史の謎を追う?
我々の常識ブッちぎる岡田歴史学のもの凄さ!!。日本史の誕生「1300年前の外圧が、日本を作った」1
日本史の誕生 日本史の誕生「1300年前の外圧が、日本を作った」 我々の常識ブッちぎる岡田歴史学のもの凄さ!!。 ●今回の本のタイトルは、日本史の誕生[1300年前の外圧が、日本を作った」。 著者は、岡田英弘先生、弓立社 岡田英弘先生 ■かなり、繰り返し部分が多くなりますが、数多くの論文などをまとめた本です。 ●ページ226ページから250ページまでの部分を、先に読んだほうがいいと思われる。 対談「邪馬台国と倭国」との対談である。 岡田英弘先生と、大林太良先生の対談ですが、このページ部分を読んでからのようが、内容を理解がしやすい。 ーーーーーーーーーーーーーーーー ■岡田歴史学前提(80ページ)中国人という人種は無い。中国人は人種ではなくて、首都の王侯と君臣の契約を 結んでいる政治的観念。都市に住んで、中国語を話し、税金を払う文化的観念。 。 ■岡田歴史学前提。民族という言葉は19世紀の資産であり、それ以前にはなかった。 ■岡田歴史学前提。(5ページ)歴史はものの見方の体系である。 (55ページ) 歴史は人間が世界を見る見方を言葉で表現したものである。 歴史は書く人の主張の表現である。歴史は事実の記録ではなく、 何かの立場を正当化するために書いたものである。いちばん最初の史書が、 その国の性格を決める。 日本書記は、日本の建国を正当化するために書かれたもので720年に完成。 他の国の歴史書も、独自の記憶を持つ統一国家として、宿命の文明であるという 主張である。 (202ページ) アジア大陸と日本列島は紀元前2世紀を世紀に始まった中国化時代には、一体の世界であった。 7世紀の日本建国とともに独立後、分離する。 (228ページ) 日本の古代史は、すでにできあがったイメージがあり、それに合わないもの を自動的な排除する。イメージあうものしか採用しないという傾向がある。 (247ページ) 日本列島とは昔から、異常に、人が多い。古墳だけで15万基がある。世界と比較しても異常なほど大きく多い。 つまりこれはマーケットポジション、潜在的市場が異常に高い。 (229ページ) 日本の古代は、帰化人が沢山いたことも、みんな認めているが、 その気家人は、日本人。日本社会の外側にいたようにいうが、しかしながら、 現在のマレーシアの場合は、各人種が共通語として英語をしゃべっている。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 中国に関して(101ページ) ●中国の組織は、大総合商社である。中国の組織はいわば大総合商社である。 秦に始まる中国国家組織は、大規模な総合商社と考えていい。首都を、 国の本社と考え、皇帝を社長と考える。支店網がそれぞれにある都市である。 その支店網都市を建設する。中国の都市である洛陽は、水上交通路の起点であり、 朝鮮半島の平城から先は、韓半島の内陸の河川および外海と考え、 水路が、発達している。つまり、外洋航海の技術の必要は無い。 (ページ133)韓半島の人口は少なく、日本列島の人口は3ー4倍ある。 つまり日本は、人口が多い。物産が豊かがであるという理由で中国としては 非常に魅力的なマーケットであった。 ●中国の起源(6ページ) 中国の本来の起源は、BC221年、秦帝国である。 それ以前の中国には、異民族しかない。 後の中国人はこれら異種族の混血である。 ●7世紀の日本建国以前の歴史は、日本古代史ではなく、広い意味での 中国歴史である。 「歴史は言葉による世界観の表現」であり、事業の記録ではない。 日本列島に正当な位置を与えた世界史を書こうとすると、 ユーラシア大陸と日本列島に共通の視点から書くしかない。 ●(199ページ) 7世紀に建国した日本は、アジア大陸の国家(中国)と正式の国交を開いたのは、 1871年明治4年の日清修好条規が最初である。 本の国家の政策は自衛的であり、閉鎖的な性格をもっていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 華僑という概念について (237ページ)、 15世紀のフイリッピン、マニラにスペイン人が来てマニラ植民。が 、たちまち中国人が来て、「バリアン」というチャイナタウンができる。 中国人が来てから何もかも豊富になった。 古代の状態を、近代的な領土の概念で見たらダメである (ページ241) 華僑という概念は、1911年、以降の中国人観に毒されている。 中国人とは本来民族ではない。人種でもない。 中国と中国語という言語号共通して、中国語という。言語が存在しない、 中国人とは、「漢字文化に属しているものは誰でも中国人。」 人種や仲間ではなく、しゃべる言葉も関係ない。 中国の人移民の場合、男が単身でくる。 子供達母親の言葉は、しゃべるが意識は中国人である。 ●ユダヤ人はローマ時代からいい。ドイツ人が存在する前から入る。 (ページ232) ●戦前のドイツの文化は、全然のドイツの文化の中心はユダヤ人であった。 ヨーロッパの場合二つの国スペイン、ポーランドの重要な国の中産階級は ユダヤ人だけだった。 スペインの中産階級は、ユダヤ人であり、移動先はオランダ入り、 イギリスへ移動した。ポーランド王国の中産階級はほとんどユダヤ人。 このユダヤ人の役割は、日本の渡来人と比較できる。 (233ページ)ユダヤ人の役割は、王様の財産を預かり運用することである。 同じように、現代のマレーシア、インドネシアには、サルタンの側にいるのは 、華僑である。佳境=商人は中国系である。インドネシアでは、 太平洋戦争以前にマレー人の商業組織はあり得なかった。 古代日本と中国東南アジアは共通の点があり、日本列とは暮らしやすい。 何かをしょうと思わない人間が多い。全然異質の人間が入ってくれば、 流れが変わるこれが中国人であった。(235ページ) ●帰化人の言葉は、朝鮮語だったと言われているが、朝鮮という民族は 日本と同じ時期に、新羅が半島を統一した。7世紀から8世紀に成立して いる。それ以前に、半島には統一されていない、とすれば、朝鮮半島の公用語 も中国語であったと考えざるを得ない。北アジアの騎馬民族の公用語はすべて 中国語であった。 (243ページ)、日本の大化時代以後に、日本の姓は発生した。 中国の氏は、ある。同じエリアに住んでいる人間の都市連合である。 氏の間の総合商社、何十という総合商社が、日本列島という肥沃なる土地 に分布した。いわば多国籍企業である。 ●「魏志倭人伝」に有る倭人の30カ国は商業都市であり、倭人諸国はチャイナタウンである。 華僑が作ったチャイナタウンである。 倭人の酋長は、そのチャイナタウンからの商業税金のあがりで食っていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーー ●●ここから、やっと日本建国に入ります。-- ●(246ページ) ■日本民族の成立。日本国家の成立は、広範囲の政治的統合と異族との対決であった。 (199ページ)7世紀の国際関係の大変動によって出来た国家がは日本である。 日本列島を外からの脅威として、防衛する。それが国家の最重要課題だった。 そして、共通語として人工的に日本語を作った。 184年、中国で黄巾(こうきん)の乱がおこる。その時に、中国の人口が10分の1以下に、激減した。 ●中国が伝統的にコントロールしていた朝鮮、日本は、この人口激変の影響で、 コントロールできなくなってくる。(147ページ) ●その結果として、東北アジアで小さな部族国家がそれ歩き始める。 このような異常な事態が長く続いた。自分で軍隊を作って、自分で防衛。 中国の商業マーケットを縮小してしまったので、その対応策を考えなければならなかった。 日本では、邪馬台国連合みたいなものができた。 6世紀、中国の南北朝統一を隋が行った。この後、中国の人口が回復し、 7世紀には、4500万人になった。 黄巾(こうきん)の乱前の人口調査、157年では、約5600万人の人間がいたと言われているが、 184年、黄きんの乱などには500万人つまり10分の1に激変したと言われている。 中国の南北朝時代に、中国の華北のエコロジーは、完全に破壊されてしまい。 中国の人口の中心が 江南へ移動している。 江南から遠回りして、朝鮮半島を通過する必要はなく、朝鮮半島から日本をコントロールする理由がない。 唐は、朝鮮半島から、撤退。朝鮮半島は裏通りとなった。 (148ページ) 住民の氏族構成は韓半島、日本列島とも同じである。 663年、白村江の戦い、 以降、朝鮮半島では新羅が、それぞれの種族を吸収統合した。 新羅は、中国人。高句麗人。百済人。新羅人。倭人を統合した。 倭国は、近畿の一部のみ。経済基盤は、百済をとうして南北朝中国との 商売センターがあった。その難波を中心とした倭国があり。 そこで倭国の経営はを成り立っていた。 (文章が長いので続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.05.31 01:51:25
[日本史と世界史の謎を追う?] カテゴリの最新記事
|