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カテゴリ:日本史と世界史の謎を追う?
日本史の誕生「1300年前の外圧が、日本を作った」
我々の常識ブッちぎる岡田歴史学のもの凄さ!!。 日本史の誕生 ●今回の本のタイトルは、日本史の誕生[1300年前の外圧が、日本を作った」。 著者は、岡田英弘先生、弓立社 岡田英弘先生 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ●「1300年前の外圧が日本を作った」。 (158ページ)日本列島内の諸国は、それぞれ自発的に解体して、旧倭国と 合同し。新たに日本国を形成する。 (158ページ)アメリカの建国との同じで、日本列島は、いろいろな起源の方々の雑居地であり、 住民の中には意識の統一も文化の統一を言葉の統一もない状態であった。が、 663年、白村江の戦い後、日本人であるという意識を植えつけけていった。 ------------------------------- (78ページ) 中国の都市の発生の機縁は、商業であり、商業都市が出来て始めて、 周囲に農村が発生する。逆ではない。中国は商業国家で農業国家ではない。 (109ページ) 王奔(おうもう)の内乱、紀元2年、中国の人口は約6000万人だった。 しかし、この内乱が25年続き、王奔(おうもう)の内乱の後、統一したときは人口が五分の1となっていた。 人口は1数百万人となっている。 (83ページ) 豊かなる日本市場。4世紀から7世紀ににかけての300年間、日本の古墳は、 毎年、500基作られていた。これは日本列島が、人口は多く生活が豊かである。 中国の韓半島支配は、実は日本列島の市場の利権を目的としていた。日本貿易ルートである。 1万人を超す中国人が、日本列島との目と鼻の先に入植し、市場開拓に従事し た。日本列島に都市が発生し、市場が出現した。(113ページ) ●中国総合商社が日本列島の対岸に支店を作った。それが真香群であり、独立採算制であった。 (36ページ)日本の建国者は華僑であり、日本人は文化的には華僑の子孫である。 ●84年、中国で黄巾(こうきん)の乱が起こり、 中国の経済が崩壊し、人口が減少し、中国の華北は、無人化した。 ●モンゴル高原との遊牧民との戦争。軍隊が膨張後、兵士は、 として帰らず、都市に残る。都市に残れば食っていける、軍事訓練、団 体行動、武術を取得した組織が、そのまま革命組織となって闘争が起こる。 ■百済滅亡。新羅が半島統一。唐という世界帝国■ (94ページ)倭人にとっては、「韓半島、唐中国だけ」が世界であったが、その大帝国の唐 と敵対することとなった。 日本人は、中国の沖合業に対する自己防衛の必要が、中国の存在をしながら中国と深い関係に入ることを避けてきた。 ●日本列島に住んでいる。百済、新羅、高句麗、中国人のことすべてが 唐にとって敵地となった。倭国を解体し、再統合をする。これを日本建国という。 (119ページ) 新しく、日本列島統一国家を作り上げ、滋賀県大津で即位。天皇という語を採用した。 国家のあり方を転換した。言葉を転換した。中国語をやめ、日本語を発明した。万葉集がその発明の記録である。 ●日本人とは、それまでの倭人、新羅人、百済人、高句麗人、任那人、中国人の総称である。 日本は、倭という古いアイデンティティーを乗り越えた、他民族の統一国家であった。 (91ページ) 669年から670年にかけて、中国文化圏の「倭」から「日本」に変わった。 中国文化圏では国名を変えるということは。「革命」を意味する。 もはや倭人ではなく、日本国の日本人である。 倭人とわ神的自然なアジア大陸から韓国大陸との位置関係は、 貿易が、王権の基盤であり社会の基盤である。(ページ95ページ) ●倭国は西向きであった。 大阪を経済の中心とする。北九州にかけて、港を押えている国である。 それによってアジア大陸から切り離しをされた場合に、東向きに変えた。 西向きの国家から東向きの国家へ。歴史は何か一つの時代が終わったという実感があり、 新しい時代が始まったという史観で初めて描かれる。 668年、天智天皇が、近江大津で即位した。近江律令という日本最初の成分法典を成立した。 660年、戸籍を作った。天皇という王号。日本という国語、成分法典。日本建国、これを意味する。 以上、岡田歴史学。日本史の誕生のまとめです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.05.31 01:52:41
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