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カテゴリ:日記・雑記
石見銀山はその名の通り銀が採掘されたところで、大内氏や尼子氏、毛利氏といった戦国大名によって争われ、軍資金などに使われた他、江戸幕府の資金としても使われています。 銀鉱石を求めて掘られた坑道のことを間歩(まぶ)と呼び、その中の1つである「龍源寺間歩」が、唯一、一般公開されています。 写真では、間歩内後半部の整備された道が写してありますが、前半部の壁面は、左右とも凹凸があり、ノミで削った後がそのまま残っています。 坑道じたいは200~300メートルくらいの長さでしょうか。 高さは私の身長(174センチ)より少し高い程度でしたから、頭をうちそうになる箇所が幾つかありました。 後半部では、パネルで発掘時の様子なども説明してあり、当時の苦労を伺い知ることも出来ます。 (水のくみ出しや、空気を循環させるための仕組みなど) 当時としてはかなり大変な作業だったようですね。 時間の関係もあり、短時間しか滞在できませんでしたが、歴史的にも価値のあるところだと思いますし、1度は足を運んでみるのも良いかもしれませんよ(^-^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月10日 21時42分59秒
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