京都のホテルでもらった朝刊で気になった読書欄、帰りのバスで読んだ。
書評を書いたのは 法政大学教授 田中優子さん。
やまんばは、この人の言葉は信頼が置けると思っている。
・・・電気、水道、ガス、高速道路、新幹線、電話、インターネット等も、広域システムの一部である。一旦システムに問題が生じると、個人ではそれをどうにもできない。ならば専門家や国家がなんとかしてくれるのかというと、誰も責任を持ってはいない。
原発はその最たるモノの一つだよ!
かつては家々の復興はそれぞれがおこなっていた。それを基盤に経済も自治体も再建された。しかし今は、大きなシステムが動かないと家も個々の生活も成り立たない。
復興が遅れている原因の根っこは、ここら辺りにありそうだ。。
著者は、震災後の東北での経験や東北の歴史の検証から、地域のシステムが中央のシステムに取り込まれ利用されてきたことに気づく。原発だけでなく、貿易自由化、リゾート開発、大店舗乱立、市町村合併もしかり。小さなものを食いつぶしながら巨大化し、利益は中央が取り、地域にそのリスクを押しつけるのが広域システムの特徴である。
そうそう、「国策」っていうやつは信用ならないもんだ。太陽光発電システムはクリーンエネルギーとしてもてはやされ補助金が付いているが、やまんばは飛びつかない。
まとまったお金もないのもその理由だが^^;、「補助金」というクセモノには要注意。甘い汁を吸う輩が群がっている。経済至上主義をよくは思わないやまんばが選んだのは、アンペアを小さくしたことと、日々の節電。
脱原発ではなく脱システムこそが必要だという。システムと個人の中間に、小さな共同体の意志を創り出すことが脱システムへの始まりだとも。
「小さな共同体の意志」・・・肯ける言葉だ。当事者の思いを結集する仕掛け(小さなシステム)は必要だ。草の根の活動こそ、いざというときモノを言う。そして、それを支えるのは一人ひとりの意志。
一人ひとりがどう生きたいか、どんな日本であって欲しいかを真剣に考えて、それを日々の暮らしに活かす。一人の力は小さいけれど、大きな力の元になるんだよね。
少子化だって、一人ひとりの女性の選択の積み重ねの結果として生じたわけで。
フェミニズムの「個人的なことは政治的こと」という概念は、 女性問題に限らず、あらゆる困りごとの場面に通じると思う。
凝り固まった政治のシステムをほぐすのは大変だ。 でも、汲み取った地域の意志を自分の言葉で議会にぶつける市会議員の仲間がいる。 そのサポートだって、やまんばのできること。
今日は震災から2年目の3月11日。
改めて、他人事ではなく、自分の事として考え
暮らしに反映していきたい。