胃ろうより叔父を解きたる大暑かな やまんば
八歳年上の叔父が亡くなった。
5月の連休に「おとう」と見舞った時の叔父の姿が目に焼き付いている。
修理工場をやっていていつも真っ黒だった叔父の手、その時はもう油汚れの一つも残ってはいなかった。やまんばより、車が好きな「おとう」に会えたことの方が嬉しそうだった。
母は八人きょうだいの2番めで、叔父は末っ子、跡取りでもあった。やまんばは叔父を○○○ちゃんと呼んでいた。○○○ちゃんの子どもたちとやまんばの上の二人の子どもは年も近かったので、小さい時はよく遊びに行かせてもらったものだ。
灰寄せの席で(お斎・佐久地方独特の言い方)隣り合わせた4番目の叔母がポツリともらした、「親がなくなった時よりさみしい」と。
「死ぬ」ということは、人生最後の大仕事なんだとつくづく思う。「 胃ろう」についての知識は無いわけではなかったけれど、自分の口からものを食べられない叔父の姿を目の当たりにして、本人の思い、家族の思い、周囲の者の思いなど、いろいろ考えさせられた。
○○○ちゃん、いまは美味しいものをお腹いっぱい食べているのかな(^J^)