下鴨・上賀茂神社の清流もそうだが、
今年の夏は、「水」にまつわる場所に縁があった。
つくづく日本は水に恵まれ、水とともに繁栄した国だと思う。
勿論、水害も忘れてはならないが。
7月の初めの敦賀の帰り、
この時は、かねてゆっくり歩いてみたいと思っていた
奥の細道の結びの地「大垣」を経由地に。
川に沿って配置されている、22の句碑がお目当て。
大垣はかつては水運が盛んで、
芭蕉もここから桑名までは、この水門川を舟で下っている。
川は、途中で2つに分かれまた一つになるのだが、
こうすることで、大垣城の堀としても利用されたのだという。
矢立の初めの句碑から、結びの蛤塚まで約2キロ。
「奥の細道むすびの地記念館」には、ゆかりの自治体から送られてきたパンフレットや、全国の俳句結の結社誌がズラ~と並んでいて、大垣市の力の入れようがうかがわれる。
わが市にある姨捨にも、更科紀行の折に芭蕉は訪れているのだけれど、市民の認知度は低いのが実情なので、ちょっと羨ましい。
歩いて気づいたのは、
湧水が数箇所にあって、水汲み場になっていること。
花の水くれに使っている人もいる。
やまんばも冷たい水で喉を潤し、ペットボトルに補充。
枡形や大垣宿の水まんじゅう
八幡宮では茅の輪をくぐり、
川に胸まで浸かって水草を刈っている人たちの作業を眺め、
城下町のたたずまいを堪能。
朝の8時に大垣駅に降り立ち、
城を中心にぐるっと回って、12時半。
ゆっくりたっぷり歩いた(^J^)*
水を大切に暮らしに活かしている大垣、
「水都」の名に恥じない町だという印象。
その数日前は、「おとう」と琵琶湖を一周。
何箇所か散策した、その一つが大津。
目的は、「琵琶湖疏水」の取水口。
あった、あった♪
長い距離ではなかったが、疎水に沿って歩くことができた。
大津から彦根に向かう途中で「おとう」に頼んで寄り道したのが、
旧東海道沿いにある義仲寺。
芭蕉の墓所を訪れることができて、良かった。
義仲寺のくちなしの白さかな
話を、琵琶湖疏水にもどして。
「琵琶湖の水を京都へ」
明治の初めに、この大事業を実現させた一人が、
「八重の桜」の八重の兄、山本覚馬。
興味のある方は、 NHK「歴史秘話ヒストリア」 を。
(再)9月3日 深夜1:45~
やまんばも録画予約しました(^J^)
つづく