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カテゴリ:ことば・気もち
ハリー・ポッター最終章、 「ハリー・ポッターと死の秘宝 part2」を観た。
かつて、「スター・ウオーズ」のシリーズが一挙に放映された時、 どうしてこの作品が若い人たちに人気があるのだろう、 実際に見てみようと思って見始めたところ、 エピソード3で一気に惹きこまれたという経験があって、 ハリー・ポッターも全作通して見てみようと思ったのだった。
「スター・ウオーズ」の時は、題名にあまりいい印象を持っていなかったのだが、 実際に見たら、絡み合う「愛と葛藤」も重要な要素となっていて、 そこにいたく心を打たれたのだった。 今回、実はその時ほどの感動をおぼえなかった^^;… やまんばの年齢のせいであるのかも。 それでも、子役の成長や、大人たちの老いの過程には興味深かいものがあった。
やまんばのアンテナに引っかかったのは、ダンブルドアの言葉。
ダンブルドアの言っていることは決して新しいことではなく、 これまでも目にしたり、耳にしたり、また自分でも常々そう思っていること。 こうしてブログに書いてみようと思ったのは、 「今、人々は、ことばを求めているのかもしれないね」、というようなことを、 最近知り合った編集者の方と語り合ったばかりだったからだと思う。
コミュニケーションの80パーセント以上は、 表情や身振り手振りなど言語外の情報に依ると言われていることを承知のうえで尚、 ことばの持つ力を強く信じているやまんばなのだと、改めて思う。
ここのところ毎日耳にする「アベノミクス」という言葉、 ここに将来への成長や希望を見出す人もいれば、 懲りない経済至上主義を感じ取る人もいるだろう。 同じことばであっても、 人により状況により異なった意味を持つということだ。
また、私たち一人ひとりが 言葉を受け取る側であると同時に、 言葉を発する側でもあることを忘れてはならないと思う。
どんなことばを自分の支えとするのか、 どんなことばに惹かれる自分であるのか、 感じる力、選ぶ力、発信する力、自分の軸、 磨いていきたい。(^J^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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