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テーマ:長崎の事件について思う事(53)
カテゴリ:日刊雑感
近所の評判は“ごくごく普通”であった12歳の少年。
これからすべてのメディアが「ああでもない」「こうでもない」と彼を分析、追跡して丸裸にしてしまうんやろうが、どんな科学調査を持ってしても、彼のその時の心を覗き見ることは出来ないわな。 うちの家内は、犯人が少年と報道された瞬間、6年前の神戸児童殺傷事件の被害者、彩花ちゃんのお母さん、京子さんの心情を思い、涙を流しよりました。 先日、家内は京子さんとお話をさせていただいたばかりでした。 京子さん、そして須磨区竜が台地域の皆さんは、二度と彩花ちゃんのような被害者、そしてA少年のような加害者を出さないように、今も地道な活動をされています。 京子さんが手記の中で綴られた言葉が、今まさに心に、警鐘のようになり響きます。 “自分の痛みは幼児でもわかります。自分の外にある痛みは、想像するしかありません。その力を育んでいくことが、成長していくことではないでしょうか。その力を育むことは、ピアノや水泳、そろばんや英語を学ばせるよりもっと大切なことです。” 京子さんは彩花ちゃんが幼い時より言葉に出して「生まれてきてくれてありがとう」とおっしゃられていたそうです。 “人の痛み”“家族の痛み”を感じる事の出来ない少年が、はたして“普通の”少年なのでしょうか? そして彼には誰もその“痛み”を教えてあげられる人が、「生まれてきてくれてありがとう」と言ってあげる人が、いなかったんでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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