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人生には見えない期限があります。
今朝、7時半。 父親から「たいへんだ。お母さんが倒れた。」と一報がありました。 脳溢血でした。 実は僕は数年前から、リンパ腫、ガン、肝炎を併発していた母の命に対し覚悟を決めていました。 僕自身も自立をできているし。 ただ、僕がしてもらってきたほどは、まだ返していません。 いや、1%ぐらいしか、返せてません。 昨年に実は、初めてグアムに両親を誘いましたが、「また今度」と断られました。 僕が元気で楽しくやっている程度が、親孝行でした。 今日は、母親のお客さんが、地方から、数人、東京の病院まで駆けつけてくれました。 本当に、自分の母親が、いろいろな人に勇気、希望、楽しみを与えていることを知りました。 まだまだ、みんなに必要とされていることを初めて知りました。 母親も、すばらしい人間関係を築いていました。 医者は、脳死状態だと言っています。 だけど、僕の思っていることを、すべて話したとき、舌が左から右へ動きました。 呼吸の回数があきらかに増えました。 今年の年賀状には「お父さん、お母さんの子供で本当によかった。感謝しています。」と書きました。 僕の思いは、母親に届いていたと思います。 占い師に母は「70歳から、あなたは本当に幸せになれます。」と言われいました。 まだ、65歳。 僕は違う占い師に「37歳から自由になります。」と言われました。 母親の占い師と、ぴたりと話が合っていました。 あと、数年先の景色を一緒に見たかった。 見せてあげたかった。 まだ、呼吸はしています。 本当に唯一の心残りは、唯一の息子である僕の息子、母親に孫を見せられなかったことかな。 僕は幼少のころ、母親の手を握るのが大好きでした。 まだ、母親の手は温かいです。 今のうちに、母親の手を覚えておきます。 思い出はつきません。 ただ、僕が言えることは、僕は未来にしか、向かっていない。 だから、気丈です。 僕は元気にお天道様の下を、これからも歩いて進みます。 お母さん、生んでくれて、本当にありがとう。 また、明日、病院に行きますね。 もし、数回目の奇跡が起きたなら、僕はすべてに感謝します。 昨夜、電話で元気に母親と話しましたが、もう一度、声が聞けるなら、とんでもなくうれしいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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