天の王朝

2021/08/24(火)23:42

竹内文書との不思議な出会い3

不思議な世界(692)

もう長い月日が流れたので、詳しくは覚えておりませんが、山口教授の尖山ピラミッド説の原稿が掲載された後の動きはおおよそ次のようなものでした。 早速、「サンデー毎日」が山口教授に接触、そのまま山口教授は同誌のプロジェクトメンバーに加わりました。 私は独自に竹内文書の取材を進め、同文書に記録されている天柱石など古代史跡を現地に訪ねて調査を重ねました。一度、創刊間もない月刊誌ムーから取材を受けて、それが「謎の古代遺跡尖山ピラミッドと天柱石」の記事になっています。 私が尖山や天柱石を取材していたときの話は、その年(1984年)の10月に出版されたマスコミ最前線のヒューマンドキュメント『共同通信社の24時間』(共同通信社刊)にも紹介されています。 同じ年の夏か秋、山口教授ら数名の有志と尖山の山頂で夜間UFO呼び出し実験をやったことを今でも鮮明に覚えています。 UFOは出てきませんでしたが、登山途中に雨が降り出して、全員びしょぬれに。だけど山頂では、横殴りの雨が降っていましたが、驚いたことに尖山の上だけが満天の星空でした。まるで尖山の山頂からエネルギーが出て、雲を押しのけているようで、非常に不思議な体験ではありました。 下山後、喫茶・尖山でささやかな打ち上げをして解散となりました。 富山地方鉄道の招待で、立山・室堂平のホテルでUFO観測会の取材に出かけたのもこのころでしょうか。 そのとき初めて、UFOライブラリーの荒井欣一館長と知り合いになり、後にUFOライブラリーの原稿を書いたことがありました。 竹内文書研究家の高坂克己(和導)さんとも、このころ親しくなりました。 秋山さんも高坂さんとはよく知った仲だったようですから、この辺りから段々とそちら側の世界に入っていったわけですね。 ただし、竹内巨麿が開祖の天津教や、竹内文書を”聖典”とする崇教真光との接触もありましたが、私はどの団体にも加わることはありませんでした。キリスト教や仏教を含め、宗教はあくまでも私の取材対象なんですね(実は秋山氏と同じで「神様好きの宗教嫌い」のところがあります)。 1980年にイギリスに滞在していたときも、仲が良かったクウェートから来たイスラム教徒の留学生に「なぜ宗教に入信しないのか、神を信じないでどうやって生きていくのか」と聞かれて、「私の心の中に神がいるので、わざわざ宗教の教徒になって外に神を求める必要がないのだ」と私は答えていました。 聖山・位山には、富山の地元・高岡市役所の人たちや日経新聞の記者とともに登りました。 UFOに追いかけられて命からがら車に乗って逃げたという富山の無線マニアの人と一緒に、夜の同じ時間帯に現場検証したこともあります。そのときもUFOは現れませんでした。 そのようなある日、突如「羽根ライン」を見つけることになるわけです。 (続く)

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