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言葉を“面白狩る”

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2006/08/13
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江戸時代、帆船の大きさを示すものに「何反帆」があります。

「尾道ニて船借賃・水主賃并船賄共 但、三反帆一日ニ九分ツヽ、水主賃一日一人壱匁八分、水主弐人、助左衛門船中賄代一日ニ壱匁宛」(吹寄青枯集)

三反帆」とは、木綿布3反(1反は成人一人前の衣料に相当する分量。普通、布では並幅で鯨尺二丈六尺または二丈八尺)を使った帆船……とばかり思っていましたが、これが大間違い。

「十八世紀末までは厚い帆布を織ることができなかった。その代わり、布地二枚を重ねて四子糸と呼ぶ太い糸で刺し子のように縫合わせて丈夫にしていた。これを三幅分横につないだものが帆布一反(端)で、その幅は三尺(九十センチ)前後であった。何反帆という呼称は、この帆布地一反を横につないだ数で、帆の長さには無関係である。一反の幅は、十八世紀後半からは帆を丈夫にするため二尺五寸(七十五センチ)程度と狭くなっているが、……右に述べた木綿帆は刺帆と呼ばれ、製作に手間のかかる割には丈夫でなかった。まして帆走専用船となった弁才船では、刺帆の弱さはウィークポイントの一つでもあった。この欠点を解決したのが播州の工楽松右衛門で、彼は天明五年(一七八五)太い木綿糸を使って厚くて丈夫な帆布の製作に成功した。」(石井謙治『和船 1』)

すると、右の図(和漢三才図会)で5筋の布が見えますので、五反帆ということになるのでしょう。





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最終更新日  2006/08/13 10:57:44 AM



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