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カテゴリ:教育
家に、帰ったらちゃんとした言葉をつかう!…(む)
小学3年生の次女が急にこう宣言した。 紙に清書し壁にそれを貼るほどの意気込みようだ。 次女は自分のことを「むっちゃん」と言う。 しかしこれからは「私」に改めるとも…。 「なぜ、そのようなことを思ったのですか」 私も「ちゃんとして言葉」で次女にたずねる。 「学校でそのようなことを学んだのですか」 「いいえ」 「ではなぜなのですか」 「ちゃんとした言葉をつかうと、言われた方も気持ちがいいかれです」 「ほほう、なるほど。相手のことも慮っているのですね」 「はい」 食事中も次女はちゃんとした言葉をつかった。 「あ、お酢がほしいなあ」 「お父様、お酢ですか」 「はい、お酢でございます」 「とって来ましょうか」 「ああ、ありがとうでござりまする」 さすがにちょっとくたびれたのか、 「ちゃんとした言葉は8時まで」 と新たな宣言をした次女である。 まあここまで極端ではなくとも「ちゃんとした言葉」は必要だ。 私は学校で子どもたちに話すとき普段は「ちゃんとした言葉」を使う。 授業中、子どもたちに「ちゃんとした言葉」づかいも指導する。 「今朝あなたは何を食べましたか」 そう私が問い誰かをあてた(指名した)とする。 「ごはん」 こういう答え方だと次のようにやり直させる。 「はい。ごはんです」 名前を呼ばれたら返事をする。 丁寧な言葉(ちゃんとした言葉)を使う。 これはもう当然だと思っている。 確かに、友達言葉で子どもたちと話す方がフレンドリーな関係にはなりやすいだろう。 しかし私は、学校ではやはり「ちゃんとした言葉」を使いたい。 「ちゃんとした言葉」であっても友好的な会話はできる。 それに子どもたちが「ちゃんとした言葉」で大人と話せるのは学校以外にどこがあるだろう。 家ではやはりもう少しくだけた話し方をするのではないか。 今日の次女と私の会話はともかく、私も家ではかなりくだけている。 これは今や学校でしか指導できないことではないかとも思ったりする。 ところで次女は学校ではどうなのか。 先の宣言には「家に、帰ったら」と「家に」を強調していたぞ。 先生にちゃんとした言葉で話しているのだろうか。 そのへんのことを明日ちゃんとした言葉でたずねてみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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