テーマ:政治について(20201)
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右翼思想を研究し始めて、約15年になります。思えば、小学校の高学年の頃から、思想研究をして参りましたが、僕自身の思想変遷は、ニーチェの理解、バークの咀嚼という二段階を経まして、現在は、新自由主義に極めて近い立場を取るに至っております。
一口に右翼とか、保守とか言いましても、戦前の大アジア主義を唱えておった玄洋社系の右翼、大陸浪人系の右翼、実質的には社会主義である、大川周明、北一輝、上杉慎吉等の偽装右翼、理論を持たず、「弱者の為」にテロを敢行しました井上日召等、戦前には実に様々な形態があったわけでありますが、戦後の右翼を見た時、これは、皇道派と統制派という戦前軍部の構造をそのまま引きずっておった所があるのではないか、と思うのです。三浦義一、笹川良一、児玉誉士夫等の統制派と、赤尾敏や、山口ニ矢等の在野の皇道派とに。 思うに右翼思想とか、保守思想という物は、実に広範な概念でありまして、日本では、政治的事情がそれに拍車をかけたようです。反共である、というただそれだけの名のもとに、55年、明日にも起こりそうな、革命の火を消そうと、反共の大同団結の結果、幸いにも日本は西側諸国の一員に留まる事が出来ました。反面、体制維持の為、理論武装を怠った、そして、実質的には社民主義に限りなく近い者までをも「保守」の枠組みの中に入れてしまった、これが戦後保守派の悲劇であると、ボクは確信しております。保守思想とは、残念ながら、これはフランス革命に対し、真の自由と議会主義を守ろうと立ち上がった一団の人々の思想を継承するものでありまして、従って、これは外来の思想なのであります。その事が認識されないまま、「保守本流」などという言葉を聞くのは、保守思想を研究している者としては、耐えられない物が御座います。 一応、右翼思想の総括を行ったのが、三島先生でありまして、三島先生以降の右翼は、一般には新右翼と呼ばれております。三島先生の功績は、言わば神秘主義的傾向と、過激な行動との二面性の強かった右翼思想に、実践哲学という橋渡し、即ち、ロマン主義的ニヒリズムを導入した事が挙げられるでしょう。確かに、戦前の大陸浪人系の右翼も、見方によっては、バイロンを思わせる所があるのですが、自身の実体以上に、豪快洒脱、傍若無人に振る舞い、行動をもって自己という人格を形成した、バイロンと比較すると、いささか、「熱」に欠けていた所があります。「哲学」に欠けていた所があるのであります。三島は、武士道の持つ、ストイックな側面と、エロティシズムとを見事に融合させ、「行動するニヒリズム」という新境地を開拓しました。 ただ、三島先生をもってしても、為し得なかった物、右翼に決定的に欠けている物、これは経済理論に他なりません。戦前の偽装右翼を除いて、経済理論を柱に国体を論じた右翼は、90年代以前は、殆ど皆無と言っていいと思います。これは実に摩訶不思議な事でありますが、一つの社会集団たるネイションを最大価値と仰ぐ人々が、そのネイションの活力である国富について、殆ど無頓着であった事実、これは江戸時代から連綿と続く「農本主義」を無意識に肯定していたのではないか、と思われる節があるのであります。 成る程、金を卑しむ、という美徳は重要でありますし、ボクも日々、実践しておる所であります。日本には、旧来より、金を卑しむ風習がありますし、欧州の金持ちは、ギャンブルでスッテンテンになる事さえも、貴族階級の美徳とされるのですから、個人意識レベルでは、金は、努めて卑しむべき物であります。これは、差別化原理の肯定、という目的があるからであります。もし、人間に差別的概念なかりせば、人間は常に卑しい方向へ向かわざるを得ません。そうだとすれば、善悪は損得と殆ど同義になるでしょう。ここでは、以前に引用しました、オルテガのテーゼを肯定するものであります。 しかし、左翼が、どのような形態を取るにせよ、経済的目標を支柱にしてきたのに対し、日本の右翼が極めて国富に無頓着であった事は、経世済民という、国家の本義の一つを忘れた所業、と言わざるを得ないでしょう。冷戦崩壊後に、あわてて導入した感のある、新自由主義、新保守主義理論は、思想的にはバークを祖とし、最近の所では、ラッセル・カークやレオ・シュトラウスを基軸とし、経済理論としては、ハイエク、フリードマンらの理論を擁するのに対し、日本は保守派の再構築を迫られています。自由主義を採るか否か、という選択肢が、「親米か反米か」という議論に矮小化されている事は、実に残念な事であります。しかし、ボクは、この脱構築を完遂させなければならないと、強く信じております。 (すいません、今気付けば、かなりアジ演説チックな文章になってますね、まあお許しを(笑)) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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