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「エアギターで音が出るTシャツ」!!
このニュースを読んだ時、ワタクシは本能的に 「なんかヤバイ!」 と、心のガードを張りました。 いや、音が出る衣服って発明は、なかなかおもしろいところだと思うのです。 しかし、これをエアギターに利用しようというのは、間違っていると思うのですね。 どうして、そう思うのか? 答えを出す前に、こちらからひとつ、問題を。 アナタはギタリストです。 ギターは、まあまあ弾けます。 しかし、アナタはまだプロにはなれません。 さあ、プロになるためには、どうすればいいのでしょう? ・・・ギターを、もっと上手く弾けるようになる? そうですね。まずは、それでしょう。 でも、それだけではダメです。 それだけでは、最低限の課題をクリアしたことにしかなりません。 あと、何が必要なのでしょう? 答えは「いかにもギターを弾いているらしいパフォーマンスができるようになる」ことです。 ギターが上手いだけでは、絶対にプロにはなれません。 いや、クラシックギターの奏者なら、それでいいのかもしれないですね。 でも、ロックのギタリストには、絶対なれません。 これは、何の話かというと、「芸能」の特殊性の話なのですよ。 クラシックは「芸能」では、あまりありません。「芸術」です。 そこでは純粋に技能だけが問われるわけです。 しかし、ロックは、そしてその周辺の、いろんな音楽は、ハッキリと「芸能」です。 そこでは、先程の「ギターを弾いてるらしいパフォーマンス」が重視されます。 もしかしたら、ギターが上手いことよりも、です。 例えば、ギターソロの時。 音程がだんだん高いところに行った時、プロのギタリストは、だいたい苦しそうな顔つきになります。 ギターという楽器の構造上、別に高い音を出すことは、奏者に何の負担もかけないにもかかわらず。 これは、つまり、高い音を表現するには苦しい顔が「似つかわしい」ということになっているからなのですね。 それによって、ワタクシ達観ている者は、より興奮が高まるわけです。 そして、それこそが「芸能」の商売のキモ。 ロックという音楽は、観客をいかに興奮させることが出来るかが商売が成立するかどうかの際になってくるわけなのです。 それには、モチロン、音楽性も重要でしょう。 しかし、もっと圧倒的に必要なのは、簡単に言ってしまえば「カッコよさ」です。 ルックスがいい人をメンバーに組み込むこともそうですし、自身の音楽のコンセプトに合わせたオシャレな衣装を着ることもそうでしょう。 そして、ロックが一番盛り上がる場所であるところのライヴにおいては、プロは、その動きで観客を魅了せねばならないのです。 これも大事な「カッコよさ」の要素です。 だからこそ、ソロが高い音に登ったら苦しそうな顔をするし、曲の最後は、キメに合わせてみんなでジャンプするのです。 これらは、音楽の面から言うと不必要ですね。 そんなことしたって、演奏が上手に聴こえるわけではない。 むしろ、時として、パフォーマンスが音楽性を阻害することがあるでしょう。 しかし、これは「カッコよさ」のためには、絶対なくてはならないのです。 つまり、そのためには、多少の音楽性を犠牲にしてもいいのです。 しかし、この「カッコよさ」というのは、まだまだその価値が理解されていないような気が、ワタクシはしています。 例えば「ギターを上手に弾く」ことを目的としたものは、いろいろあるじゃないですか。 教則本もそうですし、教室なんかもたくさんあります。 しかし「ギタリストとしての上手なパフォーマンス、身体の動かし方」などを教えてくれるものが、どのくらいあるでしょうか? 例えば、ギターを上手く弾くためには、練習しかありません。 これは、ある意味、解りやすい話です。 やり方が明らかになっていますし、進歩だって見えやすいですもんね。 でも「パフォーマンス」の方をキチンと勉強しようと思っても、どうすればいいのでしょう? 進歩したかどうか、どうやって知ればいいのでしょう? これは、「カッコよさ」というのが、必要な要素としてなかなか見えにくいからなのだと思うのですが、よく考えてみれば不思議じゃないですか? プロのミュージシャンは、どうしてライブの時、みんな「ちゃんと」動けるのでしょう? 「どう見てもスポーツやったことないでしょ、アンタ」って動き方をする人は、少なくともロックのミュージシャンでは、いないはずです。 どこかで、何らかの手段で、学んでいるのでしょうね、きっと。 ワタクシ、ミュージシャンにはなれませんけども、その勉強は、してみたいなあ。教養として。 ワタクシなんかもう、ミュージシャンのプロとアマのいちばん大きな差は、実はこの「カッコよさ」を知っているかどうか、できるかどうかにあるんじゃないかと思ってますからね。 演奏はプロより上手いのに、そこに気づかないばっかりにプロになれない人がゴロゴロいるんじゃないかと思います。 ギターがいくら上手くても、それだけじゃプロになれない。 どうにも、一筋縄ではいかないお話ですが、それだからこそ「芸能」には、魅力があると思うのです。 「スポーツ」は、「芸術」は、そこへいくと単純です。 なんたってスポーツの場合は、結果が数字で現れるんですからね。 誰が見たって、どちらの勝ちか明らかなものが大半ですから。 芸術だって、芸術性、その1点で勝負すればいいわけです。 ああ、誤解のないように言っておきますが、だから「スポーツ」や「芸術」の方が「芸能」よりも簡単だと言ってるんじゃないですよ? 勝負が解りやすい、ということを言ってるんです。 しかし、芸能は、いかに「カッコよく」見せることができたか、という、誰にも判断できないもので勝負をするわけです。 (誰にも判断できないんですから、究極は勝負なんかしなければいい、という考え方もできますね。ワタクシなんか、そう思うこともあります) で! さて! ザックリ戻りまして、エアギターのお話です(長かったね!)。 ワタクシ、これが流行したのは、とても素晴らしいことだと思うのですよ。 何故ならば、エアギターは、そういう複雑な「芸能ゴト」である「ギターを弾く」という行為から、「ギターの技量」という要素をぶっ飛ばして、純粋に「ギターを弾いてるっぽいパフォーマンス」のみを取り出したものだからです。 この前の世界大会で、ダイノジのおおちさんが優勝して、エアギター世界一の座に輝きました。 ワタクシもそのパフォーマンスを見て、なかなか心動かされたのですよ。 このような素晴らしいエアギターのパフォーマンスを見れば、見て「おお! ギター弾いてるワケじゃないのにカッコいいじゃん!」と思う人が出てくれば、この解りにくい「パフォーマンス」の重要性が気づかれるようになるんじゃないかと思うのです。 おおちさんが、本物のギターは全く弾けないというのも、ステキですね。 パフォーマンスは。見てくれてる人にアピールするということは。 「芸能」において、とても重要なことなのです。 しかし、それは、まだまだ認知されていないことなのです。 特に・・・この・・・「エアギターで鳴るTシャツ」を作った人達には、どうも認知されていないような気がしてなりません。 エアギターは、演奏ではないのです。 音の要素じゃないところに、キモがあるのです。 その動きの素晴らしさを楽しむものなのです。 それなのに、わざわざ「エアギターで音を出す」なんてことに取り組むなんて。 ギターもたくさんあって、ギタリストもたくさんいる。 そういう状況下なのに、エアギターは発生し、流行したのです。 つまり、エアギターは「ニセのギター」なんかじゃないんですなぁ。 もう完全にギターから離れた、「別の何か」になっているわけです。 そう思えてれば、エアギターに音なんかいらないのは自明だと思うのですよ。 だいたい、「エアギターで音を出」したいなら、究極は、要するに、ギターを持てばいいってことでしょ? じゃあさ、結局はギターの技量で勝負するってことになって、元の木阿弥じゃありませんかね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月16日 00時19分28秒
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