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2009.12.03
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姫が借りてきた「まなざしのレッスン」という西洋伝統絵画の解説本を読んだ。

この本は、東京大学教養学部の総合科目「美術論」での講義内容10回分を元にしたとのことである。
初めて西洋絵画に本格的に触れる大学生を相手に、絵を見る楽しさを伝えたいとの趣旨で書かれたものである。

現在、私は連れ合いと「ヨーロッパ美術の輝き」というNHKの美術講座に通っている。この講座は、最初「17世紀の美術」から始まって「17から18世紀の美術」に続き、現在のは3回目で19世紀の美術についてである。
今まで、何気なしに絵画を見てきた私にはうってつけの講座ということだが、今回の解説本は、17世紀以前の美術に関することを補完してくれており、絶好の解説書のように思われた。
しかしながら所謂西洋絵画の概説という類ではなく、絵画一つ一つの具体的な見方、イメージの読み方を指南した書である。

収納解説された作品は14世紀から19世紀までの作品で、全部で187作品である。勿論今回受講している講座で解説を受けた作品も含んでいる。
ジャンルとしては、神話画から宗教画、寓意画、肖像画、風景画、風俗画そして静物画という括りで解説されている。

西洋画と言えば、何と言っても底流はキリスト教である。まず最初に紹介されているのは「受胎告知」である。多くの画家が、いろいろな手法と解釈でこの絵を描いているのだが、それぞれに違った表現となっている。
これは、新約聖書「ルカの福音書」に記載されている平坦な文字を絵画として可視化するものであるから、その表現は様々になるわけである。要は天使ガブリエルが、処女であるマリアの所に来て、神の子すなわちイエスを身ごもったという事を知らせる下りであるわけだ。

「受胎告知」で親しんだ作品としては、連れ合いと訪れた、イタリアはフィレンツェのウフィツィ美術館で観たレオナルド・ダビンチによる作品や、ボッティチェリによる作品などがある。

従って、神話画については聖書を知ることが必要になってくる。次に必要な素養は、ヘロドトスの「歴史」やホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」また「ギリシャ・ローマ神話」などの神話や歴史書と呼ばれるもである。

ルーベンスによる「パリスの審判」はギリシャ神話に由来するが、神々の王であるゼウスが、三人の美しい神である、ゼウスの后「ヘラ」と勇ましい女神「アテナ」さらに、美と愛の体現者を自認する「ヴィーナス」の3人の内、誰が一番美しいかを決めるとき、自らはその裁定を避け、トロイアの王子で羊飼いのパリスにゆだねると言う場面の絵である。

三人の美しい神によるパリスへのいろいろな工作の果て、パリスが選んだのはヴィーナスであり、以降ヴィーナスが美の女神と呼ばれるようになったということである。パリスを審査員とする、所謂ビューティーページェントが行われた時の様子と考えればよい。
これで、ヴィーナスは自分が選ばれたらスパルタの王妃へレネをパリスに与えるとの約束をしていたが、パリスは人妻であり人妻を拐かす事になる。これが原因で、ギリシャとトロイア間のトロイア戦争になったというものである。

さらに、このヴィーナスが嫉妬したという、美少女プシュケに対して息子のキューピットをけしかけ、不埒な小娘を懲らしめておやりというわけで、いろいろ画策するが、やがては、このキューピットとプシュケの2人はめでたく結ばれるという物語がベースになっているのがジェラールによる「プシュケとキューピッド」である。
「プシュケとキューピッド」の接吻の像はルーブル博物館で観た作品などもある。

またガラヴァッジョによる「ナルキッソス」も、ギリシャ神話に登場するが、ただオウム返しにしか答えられなくされた、エコーとの物語など、絵画の背景を知ることによって、違った味わいが出てくる。

こういった神話の域から、宗教画に発展していくわけである。カラヴァッジョなどによる「イサクの犠牲」では、旧約聖書に基づき、神がアブラハムに対し究極の試練とテストを課し、自分の息子を生け贄にせよと迫る場面で、アブラハムは、躊躇無く子供のイサクを屠ふるろうとする絵となっている。

これなど、キリスト教の神に対する忠誠を究極的に喧伝したかの如くなっており、神は何もそこまでしなくても、と言う気がする。レンブラントも同様の内容を違った視点から描いている。

ミケランジェロの「アダムの創造」では、神ゼウスが初めて人間「アダム」を作り、それに命を吹き込んでいる様を描いている。創世記に依れば、鼻から息を吹き込むとなっているが、作者ミケランジェロは、指を通じて生命を注入するという独自の解釈をしている。

そしてミケランジェロによる「原罪と楽園追放」では「異時同図法」という手法が採られている。
「異時同図法」とは、異なる時間を一つの構図の中に描き込む手法であり、背景を同じくする1画面に主役が重複して登場し、連続した動作を表現して、絵画に動きを持たせる手法なのだそうである。
同じ絵画に同時に何度も同じ人物が描かれているのに注意しなければならない。

巨漢戦士ゴリアテを倒しグロテスクな首を切り取った英雄ダビデ王は、イスラエルの2代目の王となるが、部下の妻であるパテシバを見染め、部下を過酷な戦地に出して戦死させ、まんまと寡婦となったパテシバを手に入れるのである。何とも昔から残酷な上司はいるものだ。
ダビデ王が、見初めた時、宮廷に来るようにパテシバに手紙を送ったのだが、この時、人目を忍んでダビデに会いに行くパテシバを描いた、サルヴィアーティの「ダビデの元に向かうパテシバ」でもこの「異時同図法」の手法が使われている。

プッサン作の「ソロモン裁判」では、母親2人が、子供を取り合う大岡裁判の西洋版で、ソロモン王による生きた子を二つに分けてそれぞれに与えるという裁定に実の母親が身を引き、正しい母親が分かるといった、こちらは日本よりは一層血なまぐさい感じの裁きである。

こういったように神話に近い旧約聖書時代の作品から、新約聖書の時代の作品へと内容が写っていく。
レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」はあまりにも有名である。この絵は、我々がイタリアでいろいろ観た、従来のフレスコ技法ではなく、テンペラ手法で描かれている。

フレスコ技法は、砂と石灰を混ぜて作ったモルタルで壁を塗って、その上に水だけで溶いた顔料で、絵を描く方法で、壁が乾く前に顔料を塗っていくという方法であり、テンペラ手法とは、金箔を塗り下地を作るとかの作業があるが、ポプラ材に、卵黄を混ぜた顔料を塗るという方法でありこちらは油が混じっているようである。

「最後の晩餐」では、イエスは、パリサイ派のユダヤ人の陰謀の手先として、ユダの裏切りを告知するが、その時の弟子達の表情と仕草がいちいちよく考えられて描かれているのである。

こうしてでっち上げ、告発されて、やがて十字架を背負ったキリストがゴルゴダの丘に向かう絵が生まれ、その続きとしてキリストの様々な磔刑図が続き、それから、キリスト降架図へと続くのである。

次に寓意画に移り、「四季」「四大陸「四大元素」などが象徴的に絵画として表現し始められる。
四季の中ではボティチェリの「春」が代表的な作品で、右からニンフのクロリスが西風のゼフュロスに無理矢理絡まれたり、中央にはヴィーナスとキューピッド、さらに、「貞節」「美」「愛欲」を示す三美神、そして左端に三美神の先導役のヘルメスが配されている。

ルーベンスの「四大陸」ではヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカをそのアトリビュートの動物たちと共に描いている。これを見ただけでは、どのように四大陸なのか判断することは出来ないであろう。

広義の「歴史画(物語画)」として有名な、ラファエロの「アテネの学堂」では古代の哲学者や数学者、天文学者などを一同に書き入れ、大きくは、上段部分を「精神科学」下段部分を「自然科学」としてまとめている。有名な人たちが一堂に会することはなかったであろうが、観る方にとっては、何とも名状しがたい感動がある。

肖像画では、世界でもっとも有名であろうかという「モナリザ」が紹介され、3/4に体の向きをねじり、その体の向きよりさらに少しねじった顔の向きなど細かく表現されていることが分かる。この絵は紛れもなく、後の肖像画の手本となったのであろう。
他にも肖像画を好んで描いたレンブラントの肖像画も紹介されている。私には、面長で正面を向いた画面一杯のデューラーの肖像画が何か惹きつけるものがある。

風景画では、ライスダールの「ヴェイク・ベイ・デュールステーでの風車」やフェルメールの数少ない風景画である「デルフトの眺望」など、私の好きな作品である。ライスダールの作品には風車や海に浮かぶ船などはすぐに目にはいるが、解説を受けなければ分からない2羽の鳥が雲間に飛んでいるのである。

風俗画を代表するといえば、私はフェルメールを挙げる。日常の作業と光の導入、何気ない日常生活を精緻に描いている。作品の数が少ないということもあってか、フェルメールを好む人は多いようである。

またブリューゲルの「ネーデルランドの諺」には、100に近い諺を絵としてオムニバス的に表現していることを初めて知った。系統立てて描かれているようでありながら多くの諺を絵によって表現しているこの絵には驚きと感動さえ覚えた。

例えば、青いガウンを夫に着せる「妻の欺瞞」とか豚の前にバラをまく「豚に真珠」とかがそれぞれ意味を成して描かれているのである。

静物画については、差ほど感銘を受ける作品はなかったが、アトリビュートとして表現されている頭蓋骨の意味が、「死を想え(メメント・モリ)」と日本語では言われているが、「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句であると言うことも初めて知った。
今までは、何故に果物などの静物にドクロが描かれているのかということも全く分からなかったわけで、勉強になった。

これは、「カルペ・ディエム」すなわち、前にも書いた、ホラティウスの「今を捕らえよ」ということに繋がるのだということだ。
西洋人の死生観を観るような気がする。ホルバインの「大使たち」というえの中央にもデフォルメされたドクロが描かれている。だまし絵的に描かれているが、これも、メメント・モリの教訓を入れたものであり、死を忘れるなと大きく警告している中、左のカーテンの隙間からキリストの磔刑像がわずかに覗かせることにより救いも同時に描かれているというのだ。

他にも多くの作品が紹介されているわけだが、どれもただ観るのとは違って視点が得られ、大変意義のある本であった。私が大学時代にこういった講義を受けることが出来ていたら、絵画を見る他の下も倍増していたのではないかと想う。

工学部であった私には、とてもそんな余裕など無かったのかも知れないけれど・・・。





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Last updated  2009.12.05 04:41:09
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