1267635 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

のらくろ君A

のらくろ君A

Freepage List

Comments

 GX革命の旗手久保田玉鋼最高峰@ Re:第4の革命(カーボンゼロ):GXの衝撃(07/24) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
 マイコ3703@ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) 私もブログを書いているんですが内容が偏…
 のらくろ君A@ Re[1]:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) やーやさん そう、アクリル画でしたね。 …
 やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08)  私もお名前書き間違って、女流画科さん…
 やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) 素敵な「ひつじ達とお散歩」は ポスター…

Favorite Blog

のらくろ君 のらくろ君さん
八十艮の広場 八十艮7633さん
ようこそ ばあこ … ばあこ5577さん
こんにちわ♪ kalunguyeyeさん
何の日=つぼんち16 つぼんち16さん
2009.12.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
高等学校時代のバスケットボール部OB・OG会の再設立総会があった。
話の発端は、桜の候だったと思う。母校のバスケットボール部の顧問をしておられる先生から、部の窮状を訴える葉書が先輩宅に届いたことから始まった。

それまで、昭和44年度卒業生くらいまでは、すでにOB・OG会なるものが存在していたが、実質的に休眠状態になっていた。私は、大阪を離れ遠隔地での勤務に就いていたので、その後のOB・OG会がどのような経過をたどったのかをよく知らなかった。

いずれにせよ推進していた人が年を取って、余り活動が頻繁に行われないようになっていたようだ。その頃から、旧い先輩の名前なども知る人のいない平成時代となり、一時、それ以降の若い人達だけで、新しくOB・OG会を名前を一新して設立したようである。

年寄りなどどうでも良い、というか、偉そうにするだけの存在だということであろうか、昭和年代に卒業していた人たちは除外されていたようである。何とも寂しい考え方であると思ったが、自らがアクションを起こさないで、文句を言うことは出来ない。

やがて、活動していた若い人たちの会の方も、だんだんと活動が沙汰止みになってきたようだ。
そして、新旧両会は共に有名無実になってしまったようである。

そこに顧問の先生からの葉書が舞い込んだという状態だった。顧問の先生は、我々の母校とは関係なく、たまたま赴任先が我々の母校であり、学生時代からバスケットボールをやってこられた関係で、バスケットボール部の顧問をされているという教諭である。

府下の旧制中学時代から続く高校では、バスケットボール部創部80周年とか85周年とかが盛大に行われるとか、また部誌も大変立派なものが仕上がっているとのことであった。それら他高校の記事から推察しても我が校は少なくとも創立86周年目にはいるという老舗である。

顧問の先生曰く、これほどの伝統を持つクラブにOB・OG会がないのは寂しいことですとの一言に、先輩も心を動かされたのか、私と同期の友人とで、とりあえずの発起人として、若い世代の世話人を務めていた人たちに声を掛けたのが今回のはじめであった。

若い会の代表をしていた人は、我々よりも20年は若手であり、今正に働き盛りである。中学や高校の教諭をしておられる方が案外多いと言うことに少し驚いたが、私などには未知数だった、学校というところが思いの外、大変なところで、多忙であることは連れ合いなどの話などで十分理解出来ているつもりであったが、約束の日までに、返事がないとか、今回のOB・OG会設立の賛同者や総会への出席者の人数が何人なのかは、問わないと答えが返ってこないという有様で、余り積極的な姿勢が見られない。

自分では若いつもりである我々も、実際に行動を起こしたり音頭を取るのは難しい面がある。自分は年を取ったとは思わないが、若い人から見ると、すでに前期高齢者であるということから決して同次元の仲間だとは思ってもらえないところがある。

かといって、総会に出席した人で、平成時代の卒業生の出席は極めて少ないのも現状である。
高校時代はバスケットボールを好んでか、しかたなくかやってきたのだが、高校を卒業するとすっかりバスケットボールは忘れてしまうという人も少なからずいる。

むしろ中には、もう勘弁してくれと言う人までいるのだ。
集まってくれた先輩や、少し下の後輩を見てはっきり解ることは、年度別によって結束の堅い年度と、全くそうでない年度があるということだ。

今回発起人の筆頭と成られた先輩の年度は、結束が良く、またその1年下の年度も遠く東京、神奈川からわざわざ参集されるほどの良い関係である。もっとも、「死ぬまでに今度いつ会えるか解らないからな」とかいいながら集まられたようであるが。

我々の年代も結束は堅い方である。6人いた内、1人は早世し、1人は仕事の関係があり、欠席したが、4人は集合するという具合だ。

また4年下の連中も、結構結束が堅いようで、同年代の前後の連中とは年に1度会合を開いているということである。

今日出席された最長老は、75歳に成られる人であった。同級生で、すでに亡くなった人や、脳梗塞で言葉が出しにくいという仲間の紹介をされていたが、幾ら年を取っても、高校時代にバスケットボールをやっていたということ、そして、こういった同窓の会に呼ばれるということのうれしさを語られていた。

中に、私が現役時代に指導を受けた諸先輩も散見され、自分としても懐かしかった。
いずれにしても、こういった会合に出てくる人と、出てこない人は必ず別れるもので、800人ほどのOB・OGを数える中で、行方知れずで返送される人が20数名有り、返送者の中でも、総会の趣旨に賛同する人は126人と少なく、今日参加された方は、32人という事だった。

果たして、この会が、どのように継続されていくのかについては、若干の不安要素がある。それというのも、若いといっても、壮年ではあるが、そういって中枢を担うべき人の熱意に掛かっている。直接指導を受けたり、共に語り合ったりしたことがあればまだしも、年の離れた人同士は、全くの他人と同様であるからで、そういった意味で、特に平成卒の人たちの参集が少なかったのは、前途多難な思いがした。

卒業した学校にノスタルジックなものを感じるようになるのは、ある一定の年齢に達してからのものだあろうか。その中でも同じクラブで、共に汗を流し、苦しい練習を耐えてきた仲間は実に得難いものだと思うのだが、それも人それぞれに違った感覚で受け止められるようである。

そういったことを感じる以前の、若い人たちは、世の中の多様化と共に、高校時代のクラブのOB・OG会にそれほど重きを感じていないのではないかと思われた。
年末のこの時期には受験のため、3年生はすでに引退という形で、進学勉強に没入している。その点昔はというか、私などは3年生でもクラブ活動をしていた記憶があり、高校時代といってもわずか2年での関わり合いに成らざるを得ない現代っ子は、その関係を密にしようとしても自ずと限界があるのかも知れない。

しかしながら、再設立総会としては、何とか様になり、和気藹々のうちに閉会出来たことは喜ばしいことである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.12.06 13:53:55
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.