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テーマ:今、沖縄で(548)
カテゴリ:つなぐ つながる つなぎ部
昨日のリハビリ・ウォーキングは浦添ようどれ。かつて沖縄中部一帯を治めていた英祖王のお墓です。
沖縄は昔、琉球王国という日本とは別の国でしたが、江戸時代末期の19世紀後半に幕府の命を受けた島津藩(薩摩)によって侵略を受け、滅ぼされました。琉球王国の成立は15世紀初頭なのでこの王国は450年余り続いたことになります。琉球王国以前、沖縄は群雄割拠の戦国時代が続いていて、本島では北部、中部、南部の3つに大きく分かれた勢力争いが続いていました。 中部でもとりわけ有力な地方勢力があったのが浦添(昔の名前は「うらおそい」)の地。 浦添では12世紀半ばから舜天(しゅんてん)、英祖(えいそ)、察度(さっと)と続く3つの王統が興りましたが、舜天は歴史上の人物であったかどうか疑わしいところがあるとされています。そのため英祖王こそが事実上、浦添を中心とした中部沖縄(中山=ちゅうざん)をまとめた人物だろうと言われています。 英祖には太陽伝説があり、母親がお腹に太陽が入る夢を見て身ごもったのが英祖だとか。 太陽は沖縄のことばで「てぃだ」「てだ」と言うので、太陽の子という意味で英祖王は「てだこ」と呼ばれるようになりました。今も浦添のニックネームは「てだこ」。那覇空港駅を出発するモノレールの終点の駅名は「てだこ浦西」と、ここにも「てだこ」が使われています。 首里城も含めて沖縄各地にある城(グスク)は戦いに適した、見晴らしのいい高いところにあります。 浦添ようどれ自体は英祖王らが入ったお墓ですが、これは浦添グスクのすぐ横に作られています。浦添ようどれに行くにもたくさんの階段や坂道を上り下りしなければなりません。でもこれこそが椎間板ヘルニアで傷めた私の脚を回復させるリハビリ・ウォーキングに適していると信じてしっかりと階段を降りてようどれにお参りし、グスク跡の坂道を上がりました。最初こそ脚に痛みが出ましたが、途中からは痛みも薄らいで気持ちよく歩けたのも英祖王のご利益だったのでしょうか? 昨日の歩数は8,278歩。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月11日 11時36分23秒
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