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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
おととしの9月に手術をして、その後、何もやる気が
起きず、しばらく休養していました。 術後初の出張で、翌年の2月にわたしは生まれて 初めて広島の地を踏みました。 時間の都合で広島平和記念資料館には行けず、朝早くに 平和記念公園を散歩するだけでした。 “いのち”というものにすごく敏感になっていたこと もあり、公園に入っただけで、泣けて泣けて仕方があ りませんでした。 人はまばらで、泣き顔を見られることはなかったけれど、 慰霊碑の前で手を合わせる人が何人もいました。 泣きながら原爆ドームを見上げ、元安川のほとりを 歩きました。 子どもたちがたくさんたくさん死んだことを 慰霊碑の解説で知りました。 先日、下関の帰りに、再び、原爆ドームの前に立ち、 今度は、ようやく広島平和記念資料館に行くことが できました。 平凡な、つましい日常が、理由もなく、跡形もなく 壊される恐怖。 国防婦人会のたすきをかけた女たちの写真を見るた びに、ぞーっとします。 「欲しがりません。勝つまでは」 「ぜいたくは敵だ」 「産めよ。増やせよ」 と、思考停止して、国と心をひとつにして、いったい 何が起きたのか。 そして、巨額の費用をかけてつくった最新兵器、原爆 をどこかに落としたくて落としたくてたまらなかった アメリカ。 なぜ、ヒロシマだったのか。 なぜ、ナガサキだったのか。 「何故私たちでなくてあなたが? あなたは代わってくださったのだ」 という神谷さんの詩のフレーズが、ずっと頭の中から 離れませんでした。 ・・・・ 戦争で実父を亡くした母は、折に触れ、自分はほとんど 記憶のない戦争のことを、わたしたち兄弟に伝えようと しました。 話を聞くとしんみりしちゃうし、なんか苦手で、 しんきくさくていやだなあと、子ども心に思っていました。 でも、たぶん、平和記念公園に入っただけで、泣いてしま うわたしの感性は、わたしの親や周囲の人たちによって はぐくまれたものだったのだと、今になって思うのです。 息子は、泣くだろうか? わかるだろうか? 伝えないとわからないよね。 ここで60年前の8月6日に何が起こったのか。 「なかったこと」にはできない。 「なかったこと」にしたら、 また同じ過ちを繰り返す。 繰り返し、繰り返し、子どもに嫌がられても伝えて おかなければならないことも、あるのだと、思った のでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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