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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
今朝のマコさんの日記を読んで、
わたしも「背骨」がしっかりしていないうちに、わんさか 仕事をして、それに忙殺されて、「背骨」をつくる余裕をなく していたなーと、思いました。 勉強すればするほどわかってくる社会の仕組みのこと。 結構それがわたしたちの日々の暮らしや思考に影響を 及ぼしていることに気づき、それが面白くて、 「なんとかせねば」と思う一方で、 「これを直近のカネにするには・・・」と 考える・・・というかなり不自然な脳の働きをしていた んですねー。 2年前に乳がんがわかり、心身ともに相当のダメージを 受けたとき、この不自然さに気づきました。 痛い目に遭わないと気づかないなんて、ほんと、自分の アホさ加減にとほほです。 術後半年、からだ第一に考え、仕事はほとんどせずにいた とき、「死」のことばかり考えていました(「死ぬ」ことじゃ ないですよ、「死」というものについて考えてました)。 「わたし、何しに、ここ(今生)にきたんだろう?」 って言ったら、 「わたしはわかってるわよー。杉山さん、そんなことも 知らずに今まで生きてきたの?」 と、わたし専属の魔法使いに言われてしまいました。 ゲー、わたしって、何のために生きてきたんだろう? もうすぐ死ぬかもしれないのに、そんなこともわかってない! 情けない~。つくづく、くだらないヤツ。 でも、病気のおかげでそれに気づけて、やり直しができるだけ の時間も残されていることには、すごく感謝しなくては・・・ と、思いました。 今だって、まだよくわかっていないし、ただ、 「わたしは何の用があって、今、ここにいるのか?」 ということは、常に考えるようになりました。 そうすると、他の人でもできそうなことは、別にわたし がやる必要はないだろうと思うし、 友人のライターさんが、割りのいい、面白そうな仕事を 引き受けたと聞いても、気持ちがさざ波立つようなこと も、すっかりなくなりました。 「ちゃんと稼いでいる?」なんて、その人にとっては、 まったく関係ないであろうことを無神経に聞いてくる人も、 適当にあしらえるようになりました。 一方で、執着がなくなり、手離れがすごくよくなりました。 それも、本当にありがたいこと。 いやな場所、ここにいてもわたしにとって何もいいこと はない・・・と感じた場からは、こっそり、一目散で逃げ るようになりました。 ● といいながら、考えてみたら、厚生労働省2つに、文部科 学省、内閣府の委員のほかに、いくつかの自治体の委員会に 参加していて、 それだけで、結構、首都圏をぐるぐるまわったりしていて、 肉体的というより、精神的にふうふうになってしまうことも あります。・ それは、自慢とか、名誉とかというより、 「意味があるから、呼ばれたのだ」と思うので、 きちんと働こうと思いますから、手は抜かないように 心がけてはいます。 が、 「これまではものすごく時間がかからないとなかなか変わら なかったことが、今は、一瞬で『バン』と変わってしまうから、 杉山さんが動いたことでそれが起こることもあるよ。 気づかずにそうしてしまうと、こちらも相当ダメージ受けるから、 気をつけたほうがいいよ」 と、魔法使いに言われ、 (確かに、ここのところ、変化が早いな・・・というのは、 感じていたので、なるほどなーとも思い)、 こちらに準備ができていないときに、むやみに核心に 触れることを言ったり、動くのはやめよう、と、 心するようになりました。 ● 今やっている仕事には、全然関係ないけど、まだまだ読みたい 本もあるし、行きたいところもあるし、知りたいこともたくさん あります。 だから、いのちは惜しいです。 で、きっと、メリハリなんだろーなー・・・と、 ここのところ、思っています。 「ここぞ」のときには、120%の力を発揮したいから、 無駄吠えはしたくない。 そのときのためにこそ、自分を強く、豊かにしておきたい。 そのためにも、心から自分が喜ぶことを、時間をさいて やっておきたい。 存在感を思いっきりアピールすることも大事なんだけど、 わが身を守るためにも、気配を消すことも大事だなー。 アピールする以上に、気配を消すほうが、テクニックがい りそうだけど、がんばるわーと思うこのごろです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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