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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
真代マヨネーズさんの、
「今の子育て家庭は、絶対評価になれすぎていて、 相対評価をしなさすぎではないか」 をもっと詳しくという質問に答えて、書いてみます。 これは先般のニートに関する報告で、ニートの若者に 就労支援を行っているNPO法人の代表の方がおっしゃら れたことなのですが、 ニートになってしまった本人と家族の様子を見ていると、 親が理解がありすぎで、あんまりやさしく、自由すぎな のも問題なのかな?と思うということでした。 (詳細は、そのうち議事録が出ると思いますので、読んで みてください。文部科学省の中央教育審議会生涯学習分科会 第5回 国民の学習活動の促進に関する特別委員会です)。 わたしの解釈ですが、例えば、幼稚園や小学校などで、あま りに競争を避けすぎて、かけっこでもみんなでいっせいに ゴールするとか、学芸会などで、親が我が子に主役をやらせた がり、劇が成り立たないとか、「誰もが特別なオンリーワン」 と言い過ぎるとか、そういうことかな?と思います。 「誰もが特別なオンリーワン」なのは、当たり前すぎる 話で、「家庭」ってのは、それが当たり前に在る場 なんだろうと思うけれど、 学校や会社など組織に入ると、どうしたっていろいろあって、 つらいこととか、自分の思いがそのまま通用しなかったり するわけで、価値観も多様だし、いろんな球が、いろんな タイミングで飛んでくるわけで、そんな世の中で自分たち なりに生きていくってのが、「生きる」ってことなんだと 思うのですが、 そのときに、子に親ができることは何なんだろう? ってことなのかもなーと、思います。 社会性もまた、伝える機能が家庭には必要なんだろうと思い ます。 ・・・・・・・・・・・・・・・ ところで、セレーノは今年から、日本子ども家庭福祉学会 の事務局も引き受けていて、今、今年度の機関誌の編集に 追われているのですが、昨年度の機関誌に、福岡でひだま りの会という子育て支援の活動をしている高山静子さんの 実践報告が出ていて、 「相変わらずいいこと書いているなー」と思ったので、 ちょっと抜粋してみます。 「(高山さんたちが実践している)サロンでは、応答性が 高く、周囲の子どもや大人とのやりとりが必要となる遊びの 素材を選んで置いている。また、親と子どもに適切な距離感 が生まれて、子どもの遊びを落ち着いて見守ることができる 場の設定を行っている。 すると、親からは、「子どもがはじめて自分から離れて 遊んでくれた」という感想がでる。子どもが自分でつくりだす 遊びでは、子どもは自分から親と離れていく。そのため親は、 子どもと距離を置き、客観的に我が子をながめる。・・・・」 (高山静子「子育ちの支援で親の育児負担と不安感を軽減す る」子ども家庭福祉学 第4号より) こういうサロンじゃないと、居場所の意味がなかろう・・・ と思うんだけど、だいぶ前に高山さんたちと子育て支援の 環境作りの本をつくったとき、 「ノンプログラムは、プログラムを提供するよりも難しい」 ってことが、なかなか認知されてないよねーという話をしま した。 遊具の選び方、その配置、スタッフのかかわり、すべてに 意味があるという場づくりのうえの「いつ来てもいいし、 いつ帰ってもいい」ノンプログラムの居場所。 それは、「専門性」と言っても過言ではないと思っています。 「社会性」をキーワードに、2つの情報提供でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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