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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
「あのとき、わたしは100回ぐらいこのことを言
いました」 「メールにも、そのことは書いたはずです」 ここまで言ったにもかかわらず、わたしの伝えたこと とは、全然別のものを出してくるのは、どうしてなんだ? わたしの言葉が通じないのか(一応日本語をしゃべって いるつもりなんだけど。伝わる人には伝わっているんだ けどなあ・・・)。 聞く気がないのか(それは失礼ね。でも、そういうこと なら100回伝えても仕方がないね)。 聞いてもそれに応える能力がないのか(こうなると、 できないことを責めるのは気の毒な気がして、やれやれ、 どうしたものか・・・)。 伝えてから先は、その人たちのことであり、かわりにやって あげることはできないし、そこから先は、わたしにはどうする こともできないという、さびしい自覚。 ・・・・・・・・・・・・・ いままで、「伝える」ということに重点を置いてしごとを してきた。 特に、言葉を使って伝えることに重点を置いてきた。 もちろん、20代後半、専業主婦からライター修行を始めて、 30代にかけては、それ以前の時期で、 自分の言葉で何かを表現するというよりも、 言葉を使う仕事につくことに、そこで実績をあげることに、 必要があれば会社もつくったりして、 全身全霊を注いできた。 当然ながら、まだまだなんだけど、自分の思いを、なんとか 言葉にできるようになったのは、最近のことだ。 審議会とか、シンポジウムとか、講演とか、原稿の依頼とか、 「言ってもいいよ」 と言われるようになったのは、最近のことだ。 ありがたいなー・・・わたしの言葉を伝える場ができたんだ。 聴いてくださる人がいるんだ。 だったら、価値ある言葉を伝えよう。 どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出すような文字、 そんな文字で書きたいーーー。 体験からにじみ出た思想、生活と密着した しかもその思想を結晶の形で取り出すこと (神谷美恵子) 軽々しい、着飾った、うそはいや。 100人中99人がだまされるかもしれないけれど、 わたしの敬愛する人は、たぶん、そんなうそを見抜くような 眼力を持った人ばかり。 わたしは、99人を敵に回しても、そういう人たちに軽蔑され るのを、何よりも恐れているから(神谷さんとか白洲さんとか、 あの世から叱責されそうで)、 「あれは、方便で・・・」とか 「あれは、どうすることもできなくて、仕方なかった」 とか、あとで苦しい弁解をして、さらにその人たちに あきれられるのがもっといやで、 だから、調子のよいうそが どうしてもつけない。 ・・・・・・・・・ 調子のよいうそをつきながら、ひらひら生きる人は 結構いるようだけど(類友ということか、わたしの周りには、 実はそんなにいませんが)、 そんな生き方しかできないのか、 確信犯でやっているのか、 それは、知らないけれど、 そんな人のことは、もはや、どうでもいい。 昔、 「此処じゃないどこかへ」 という中島みゆきの歌をいつもいつも口ずさんでいた。 此処にいるわたしにいつもいらだっていた。 でも、気づいた。 「此処」からしか始まらないことに。 そして、その歌はもう歌う必要がなくなった。 「わたしは此処にいて、わたしのなすべきことをしよう」。 と、納得して思えるようになったから。 大切な大切な自ら紡いだ「言葉たち」を、 つぎの「かたち」にするために。 「わたしは此処にいて、わたしのなすべきことをすればいい」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 2, 2006 09:18:03 AM
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