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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
自己コントロールは強さです。 正しい思いは熟練技能です。 そして、穏やかさはパワーです。 あなたがたの心に語りかけることです。 「静かにしていなさい。穏やかにしているのです!」 (『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン) このところ、むしょうに本が読みたい。 それは、仕事とはまったく関係のない本ばかり。 (ってゆーか、基本的にそういう本しか読んでいない のだけど) 芸術もただ“いかに”と“なに”だけを示しているうちは、 楽観的にしろ絶望的にしろ、つまらない娯楽にすぎない。 “なぜ”と問うとき、芸術は単なる情緒的反応から真の主張、 知的な倫理的選択へと上昇する。受身の条件反射でなく、 ひとつの行為になる。 そしてそのときこそ、政府と市場との全検閲官がこぞって 芸術を恐れはじめるのだ。 (『夜の言葉』アーシュラ・K.ル=クヴィン) 「なぜ」と問わずに生きてきたこと、 ただ、漫然と時を過ごすのだったら、「なぜ」と 問わなくても、生きていけることに気づいたのは、 ここ最近のことだ。 でも、「なぜ、わたしは・・・」と問うことで、 世界がまったく違って見える。 「なぜ」の作業は、確かに、「いかに」よりも「なに」 よりも時間がかかるし、奥が深い。なにが飛び出すか わからない恐さもある。 だから、見てみぬふりがしたくなるのも、分かる気が する。 でも、いったん始めたら、もう、やめられない。 ドイツ車の美しいかたちを見ながら、夫と話をする。 「機能性と合理性とデザイン。これが『美』なんだよね。 職人の仕事。技の伝承。日本にだって、かっては当たり前 にあった。江戸文化なんて、まさしくそう。それに、高度 な“遊び”まであって。 どうして、なくなっちゃったんだろう?」 昔はよかった。だから、昔に返ろうなんて、お気楽な発想 は持ち合わせていない。 昔のよいところだけ、『おいしいところどり』したらいい じゃんなんて、ゴウマンさも、ない。 少なくともわたしは、わたしたちの歴史に、責任を持ち たいと、思っているから。 読書とは受け身の条件反射ではなく、精神と感情と意志 とにかかわるひとつの行為である。ゴミくずのような本を “ベストセラー”だからといって受け入れることは、混ぜ物 を加えて品質を落とした食品、できの悪い機械、腐敗した政 府、軍隊と企業の暴挙を受け入れて賞賛し、それらを“アメ リカ的生活様式”とか“アメリカの夢”と呼ぶのと同じであ る。それは、リアリティに対する裏切りである。 (再び『夜の言葉』より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 19, 2006 08:43:26 AM
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