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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
今日は、久々に内閣府の専門調査会で、東大の玄田有史
さんにお目にかかりました。 「ニート」という言葉を一躍世に知らしめた方で、 以前から若年労働者の雇用の問題、不安の問題など研究を 重ねてこられた人です。 実はわたしと同じ年。 で、「え。この人、東大のセンセイ!?」という風貌。 で、センセイとは思えない発言の数々。 委員会で繰り広げられる学識経験者の先生方との ユーモアたぷりの知の妙技に、ただただ うっとりのことも。 「ここでじゃんけんですか!?」とか。 (そういう男子に昔から弱い。はい、ご著書はほとんど 読んでませんが、玄田さんのファンです) で、今日、議論のなかで、わたしの マスコミ人間的な勇み足発言に対し、 正論で「やめたほうがいい」と、玄田センセイ。 隣の席だったので、 「希望学なんですから、ここに希望を見ることはでき ませんか?(玄田さんは希望学なる学問を提唱している)」 と、唇を尖らせて突っ込むわたしに、 「挫折しないと、希望をつかむことはできません。 挫折あっての希望です」 と、玄田さん。 なんか、すごく腑に落ちたひとことでした。 ノリとかで、やってない。 ちゃんとちゃんと考えているんだ。 深いゼ。玄田さん。 「挫折しないと、本当の希望を見出すことが できない・・・」というのは、 本当なのだと思います。 「あの人は、一度奈落のそこに突き落とされないとだめ。 はいあがって本物になる」 これは、先般ある人から聞いた、忘れられないことば なんだけど、よくよく味わうと、こんなに愛情深いひとこと って、そうそうないなと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 転んでたんこぶができちゃうとかわいそうだから・・・ って、転びそうになるたびに、そっと手を差し伸べたり、 抱き上げたり。 ママは得意です。 わが子の痛みは、全部、全部、わたしが引き受けたいって わたしも思いますもん。 でも、 痛いメにあわずに育った子は、果たしてどうなっちゃう のだろう。 わたしの痛いメ? 四十路ですもん。いっぱいあります。 本当に本当に痛いメにあったとき、ああ、誰も助けてくれな いんだなと、思いました(ってゆーか、誰にも助けようがな かったのだけど)。 もちろん、たくさんの人がわたしのことを心配してくれ、 手を差し伸べてくれ、そっと後ろから包んでくれ、 黙ってそばにいてくれ、話を聞いてくれ、 「何かあったらいつでも言ってね」と言ってくれ、 それがどんなに励みになったか知れないし、 この世に生まれて本当によかったと、すべてに感謝した けれど(いまも、その気持ちの中で生きることができて いますが)、 でも、 最終的には、自分ひとり、自分次第なんだ・・・という ことも、 骨身にしみて、わかりました。 「挫折」と「希望」って、そういうことなんじゃないかな? だから、お茶を濁すような、ぬるい、中途半端なサポートや フォローは、実は「どうでもいい人」や「どうでもいいとき」 にお似合いで、 真剣勝負!!(=生きること) のときは、そういうの、イケナイのかもしれない・・・ と思ったりしました。 とくに、大事な人に対しては。 そういうの、礼を欠く行為のようにも、思うし。 わが子のことだって、小学生のとき、 とんでもない悪いことしたとき、 逃げ場をなくして、 両親そろってとことんまで、叱りました。 それを、わたしは今でも覚えているし、 たぶん、あの子も覚えていると思います。 挫折と希望。 大切なわが子に、その両方が巡りきますように。 挫折を乗り越える力を、彼にお与えください。 (そうそう、今日、息子のリクエストに応えて、 クリスマスケーキを予約したんでした。キャホー。 でも、あと何年母とクリスマスを過ごしてくれるん でしょう・・・)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 24, 2006 11:09:55 PM
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