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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
だいぶ前になるが、たまたまつけたNHKの海外
ドキュメンタリー番組で、農村で暮らす人たちが 自分たちが作った民芸品を町に持っていって売る という場面が出ていた。 「いくら」と仲買に言われて了解したのだが、 その人は数字が読めず、結局その仲買の出したお札 は、その金額に至らないものだったが、それがわか らなかった・・・というものだった。 その後、だまされた人は数字が読めるようになり、 仲買ともきちんと交渉できるようになったのだが、 それを見ながら、 「読み書きそろばんは大事だ!! 教育とはつまりそういうものだ!!」 と、思った。 また別のドキュメンタリー番組では、 貧しい農村で口減らしのために売られた娘たちを 救済して、ミシンを覚えさせたり、みつばちの 飼い方を教えたりする女性が紹介されていた。 それを見ながら、 「手に職って大事だ!!」 と、思った。 母が子どものころ、「オンナに教育は必要ない」 と、母親に言われたんだそうだ。 そこまでとは言わないけれど、 いま、ケアの現場も結構それに近い状況にあるな・・ という気がしている。 対人の仕事は手間隙もかかるし、ここまででいい というマニュアル化されたものもない。 測ることが難しいだけに、手付かずのまま放置され ている。 ずるい人が、「愛」に置き換えて、 「子育てするのは、母たるものの務め」とか 「親の面倒をみるのは、嫁たるものの務め」とか 「夫の身の回りの世話をするのは、妻たるものの 務め」とか言っているように思う。 だって、公正にみるなら、母を父に、嫁を息子に 夫を妻に、妻を夫に置き換えてみたらいい。 その「ずるい人」がそれでOKを出すなら、 わたしも「ずるい」というのをやめよう。 で、「愛」=「無償」で、だから「尊く」、 「ボランティアでいい」 そんな「愛」の蔓延するなか、ケアの現場の 人件費が安く押さえられている。 「ずるい」と思うのは、自分には逆立ちしたって できっこない、かなりレベルの高い仕事をしている とわかっているにもかかわらず、 仕事をしている当人の「人のよさ」に甘えて、 そ知らぬ顔で、上前をはねているのを目撃したり するときだ。 (「安いコストであげました」と上司に報告し、 その人の評価がそれであがるとすれば、そのこと そのものが「上前をはねている」ことと同義ではないか?) ここで生じる一番の問題は、 ケアの現場に優秀な人財が集まらない ケアの質が上がらない 本当に必要なケアは何かの議論が進まず、 プログラムや機能の開発が滞る ことだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・ ボランティアで行ったほうがいい部分があるのは 十分わかっているが、 (でも、ボランティアでやるかやらないかは、 本人が決めることで、周囲がボランティアを強要 しては、それは「ボランティア」ではないね) こんなに丁寧で、丹念な仕事を、 「タダはないでしょう、タダは・・・・」 と、思う。 あわせて、ケアの現場で、いま、適当にお商売を して、お金もうけている人のレベルを見て、 「うぅ。この程度の商品を売っちゃっていいん ですか?」 と、内心思ってマス。 あああ。 わたしたちが売り方が下手なばっかりに。 そろばんが上手にはじけないばっかりに。 でも。 「価値ある商品づくり」 だけは、手を抜かず、やっている。 そこさえできれば、 あとは、やり方なんだよねー。 そして、いま、わたしが求めているのは、 わたしたちの仕事を認め、 フェアな判断ができる、まっとうなクライアント なんだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 25, 2007 04:38:59 PM
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