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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
神戸の事件があったときも、どうしていいのか
わからなくなって、 幸運にも、こっこクラブが仕事をくれ、さまざまな識者に 「この問題をどうとらえたらいいですか?」と話を伺いに 行く機会を得、 「これはどういうことなのか? わたしたちは どう子どもを育てればよいのか?」を 大真面目に紙に落とすことができた。 (もはや「こっこクラブ」には、そうした社会問題を 取り上げるページはない、と、聞いた) 17歳が母親を殺す、あの事件に対して、わたしは どうしたらいいのだろう? わたしと息子が特段何もしなくていいのだったら、 そして 17歳の男の子を持つ、ひとりの母親の真摯な問いに対して 何のメッセージも発せられないレベルの報道しか できないのだったら、 報道しないでほしい。 わたしたちは、ギリギリの均衡で、何気ない日常を つくりだしているし、生きている。 そんなささやかな努力を、一瞬で破壊してしまうと いうことを、いったいどれぐらいの報道者が想像して このニュースを語るのか? 思春期をなめてかかってはいないか? 「知る」とはどういうことか? 「知らせる」とはどういうことか? どうすることもできない、 そして、大勢の人にとっては どうでもいい「非日常」を、 まったく「鬼の首でもとったかのように」 何の配慮も考えもなしに、 垂れ流すのは、やめてほしい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ちょうど事件の翌日に、わたしたちは、いきいき夢キラリ という民間放送教育協会が提供する番組の、 昨年度の放送番組の審査会を行っていた。 学校で、真剣に先生の話を聞く子ども。 やさしい声がけに、ほっと一瞬顔がほころぶ。 (ディレクターの思うツボだけど、そんな表情がうれしく、 かわいい) 離島の学校は、幼稚園と小学校と中学校でひとつだ。 そこには、本土でいじめや不登校になり、学校に通えなく なった子どもたちも通う。 先生の発案で、子どもたちは僕らの島のドキュメンタリー 番組をつくることになった。 ビデオ片手に子どもたちは島に飛び出した。 そのドキュメンタリー。 終わって、放送作家の方たちとも話をする。 「あれは、ファンタジーでしょう?」 と作家さん。 (え? あっちが「本当」で、小学生が毎日塾や おけいこごとで夜遅くならないと帰宅できないのが 「おかしい」んじゃないですか?って言いたかった けれど、そう確信も持てず、黙ってしまった) 「普通の子どもたちの日常生活の番組はいきいき夢 キラリでは取り上げられるけど、他では通らない」 とおっしゃるので、 「どうしてですか?」と素朴に聞くと、 ドキュメンタリーの枠自体が減っていること、 視聴率が取れない番組は作れないことを教えて くださった。 別の大学の先生が、昔は 視聴率をとりに行く番組、 じっくりつくる番組、作り手が喜ぶ番組といろいろ 作れたんですけどね・・・今はその余裕がなくなって しまったようです・・・と教えてくださった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 先日、がん研の先生と乳がんの治療法について おしゃべりした。 変わった民間療法とかだったら、一般の人でも 知る機会は結構あるのに、 普通の治療法について知る機会が、ほとんどない のだと、先生は教えてくれた。 「どうしてでしょうね?」 と聞くわたしに、 「キャッチーじゃないから」 と先生。 「普通の、当たり前に必要なことが、報道されなくて、 キャッチーなことだけが、報道されているんですね」 と、わたし(そういえばわたしってメディア側の人間 だったけど、先生に教えてもらっちゃったワ)。 そうなってしまう報道のあり方は、先生の責任でもないし、 わたしの責任でもない。 ただ、わたしは、 わたしが必要だと認識している情報は何かを 知っているし、 どうしたら手に入れる ことができるかは知っているし、 (自分の努力によって)手に入れている。 たぶん、先生も。 ・・・・・・・・・・ 「いい加減にして。朝っぱらから」 と、ストレスをためるよりも、 テレビをはじめとする、「情報メディア」というものの 性質を改めて、確認しておく必要があるのだな・・・ と、思う。 これらの媒体は、「非日常」のキャッチーな 話題を取り上げるために、あるのだ。 僕らの島のドキュメンタリーも、テレビにとっては もはや「非日常」だから、取り上げる価値があるのだ。 いまではほとんど見ることのできなくなった子どもと 地域のかかわり合いがそこにはあるから、珍しいから 価値があるのだ。 だから、わたしが、山中先生に見せてもらった 子どもの事故予防の対策が、日本は世界的に見ても 遅れていることや、 実は、WHOが子どもの事故予防について世界規模で、 行動計画を出しているというような 「当たり前」のことは、 「ニュースにならない」。 ナルホド。 集英社新書『何も起こりはしなかった』を読んで、 結構落ち込んで、いままでうすうす感じてはいましたが そうでしたか・・と「知って」しまって、 いよいよもって、軸足をしっかりと「個」におかないと、 この世の中、誰も助けてくれないし、 誰のせいにもできない。 自分が生きている、この世界の基盤というか土台が いかに不安定で、底が抜けていて、本人がしっかり 地に足をつけていないと、気づいたらまっさかさま なのだね、きついなあ・・・と、思っている。 たぶん、何もないところから、誰もみたこともない 新たなものを うんにょ、こんにょと、産もうとしている、 そんな過程なんじゃないかなと思う。 この4つ葉プロジェクトは。 だから、「4つ葉は、こういうものでしょ?」と なかなか決めることができないし、 当てはめられないし、第一、 キャッチーじゃない(笑)。 期待してくれている人、ごめんね。 努力して、やっと産んだものも、 全然「フツー」で、 「なんだ、なんだ、キャッチーか???」 と、無責任に野次馬している人には、当て外れ(!)かも しれないけれど、 そんなことは、 わたしの知ったことではない。 もうちょっとこうしたほうがいいんじゃないか? という、 親身な方法論はどんどん参考にして、取り入れて 行きたいけれど、 わが身は安全なところにおいて (でも、実は、それが一番キケンなことに、当人だけが お気づきでないんだけど) キャッチーを期待するだけの人々に 迎合する必要も、つもりも 全然なくて(それをしたら、オワリって感じで)、 それでいいんじゃないかしら? それがいいんじゃないかしら? それが、「やってみたかった」んじゃなかったっけ? と、改めて思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 20, 2007 05:45:31 PM
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