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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
先日、前々から観たかった映画「ボルベール<帰郷>」
を観に行った。 「オールアバウトマイマザー」も観ていたので、 「この映画はきっと面白いに違いない」と直感で 感じ、ストーリーなどほとんど予習しないで見た のだけど、観終わって、期せずして、 「いまこそ 見せてよ おかあさんの そこぢから」の 答えは、これだったんだなー と、実感する映画だった。 「えーどんなところが??」という人は、ぜひ、 映画を観ていただきたいのだけど、 わたしは大河ドラマ「風林火山」のような 男ばっかりのドラマも結構好きで、 「いくさとは、何を守り、何を失うかぢゃ」 とか言って、命を賭して殿をいさめるとか 嫌いじゃないのだけど、 ボルベールのような映画を観てしまうと、 女ばっかりの、しなやかさとか、たおやかさとか、 複雑さ、したたかさに、 「そうそうそうそうなのよー」 と、「やっぱ、こっちだなー」と、思ってしまう。 オープニングは、女たちがお墓掃除をするところ のシーンに始まって、痴呆の進んだ伯母さんを見舞い、 そこにはつくりおきしてあった料理があり、主役の ライムンダは慣れた手つきで(当たり前だ毎日やって いることだもの)茶碗を洗い、 血に染まった真っ赤な包丁を洗い、 床にべっとりついた血を何度も何度も拭き・・・ そこには生々しいぐらいの「生活」がある。 主演のペネロペ・クルスは、日本ではとんとお目にか かれない映画女優の貫禄を見せつけてくれ、彼女なしに この映画は生まれなかっただろうなと思うのだけど、 カンヌ国際映画祭で出演女優6人全員で最優秀女優賞を 受賞したというように、「みんないい」ところがミソ。 どうして「おかあさんのそこぢから」なのかは、 ここでは言わないのだけど、わたしの、「おかあさんの そこぢから」は、掛け値なしに、こんな感じ。 制度のこととか、仕組みの話とか、アタマで考える系の 活動ではあるのだけれど、 一筋縄でいっちゃったら嫌だな、 血が通ってないと嫌だな、 生きている人間が見えるものでないと嫌だな、 地に足がついていないと嫌だな、 願わくば4つ葉プロジェクトも、こんな感じがいいなー と、つくづく思ったのだった。 抱えている悩みも何もかもから、逃げないで、 引き受ける。 なかったことには決してできないと承知して、 懸命に、みんな、最後の最後まで生きている。 墓守も女。 最後の最後を看取るのも女。 それこそが、「生きる」ことだと、わきまえている。 その痛みをみんな知っているから、 「秘密」を安易に漏らさないし、漏らさせない。 「いつか話す」という母に、 「ママを信じる」という娘。 そんな女性たちの品性も、素敵。 仮に制度ができても、それと引き換えに、そうした 品性やユーモアや、生きる姿勢を失うようなことは したくないのと、なんか、思っていて、 「最後はこっちよ」と思いながら、 そんなことを思うわたしたち「おかあさん」が、 お約束抜きでやってるから、 4つ葉なんじゃん・・・と、再確認している。 河瀬直美さんの「もがりの森」も、なるはやで 観に行こうっと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 25, 2007 06:17:29 AM
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