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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
お金はためるより、使うほうが難しい。
使い方にこそ、その人、その組織、その国の姿が 自然に現れてしまう。 子どもの養育や教育への投資は、未来への投資。 学歴社会だからとか、いい大学行っておいたほうが就職が 有利だとか、親が見栄が晴れるとか、そんなような理由で、 もし、教育費や塾代を出しているんだったら、所詮そこま でのカネでしかない。 なぜ子どもに教育を受けさせるのか? なぜわたしは息子に大学進学を勧めるのか? 彼の何を伸ばしたいのか? でもそれは、彼の人生であり、わたしたちは「親」でしか ない。その関係性の妙。 自分のための部分と、今の彼のための部分と、彼の将来。 そこには、わたしと「社会」であったり、 彼と「社会」との関係性も見えてくる。 「意味」のあるお金の使い方を心がけたいな、と思う。 ・・・・・・・・・・・・ 先日のテレビで、シングルマザーの母親が高校生の 息子の学費や修学旅行代が払えなくて、「はあ・・・」 とため息をついているシーンが出ていた。 夫は、アル中だったりで、親として養育不能であり、 子どもを育てるためにも、自分のためにも離婚を決意した ようだった。 自分の食費を切り詰めて、昼も夜も働いて、それでも 母子でやっとの暮らし。 もと夫からの養育費の支払いは、一度もない。 息子は育ちざかりで、食べ盛りで、学びたい盛りだ。 母親は年齢的にも技術的にも、正社員は難しいとハロー ワークに言われていた。 子どもは将来は医者になりたいと思っているそうだ。 先日視察に行った、イギリスでは、こんなことには、 たぶんならないだろうと、確信めいて思う。 こういう家庭のために、奨学金制度ってあるんじゃ ないかなあ?と、素朴に思う。 成績優秀な子どもだったら、学費の心配なしに、 学ばせてほしい。 その子の将来に、国民は賭けたい。 (ぜひ、わたしの税金を使って!) そういう子どもは、必ず、借りたお金は返すでしょ? 苦労して学んだ子どもが、社会に貢献できる職に 就けるよう、環境を整備するのも公的な仕事の役割じゃ ないのかな。 (うー。日本は、先進国って名乗っているけど、 それは、かなり怪しいかもかも) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ワーク・ライフ・バランスがはやり始めている。 でも、ワーク・ライフ・バランスを、仕事をさぼる 口実に使う人が出てくるんだそうだ。 誰かに残業させて、自分だけワーク・ライフ・バランス ってやつ? 本当に小さな組織で、ギリギリで働いている事業主の わたしから言わせれば、「ワーク・ライフ・バランス」は 同じ質の仕事を効率的に短時間で行うことでしかない。 その分、ライフを充実させようよ。 かまどさんでおいしいご飯炊きたいし。 フルート吹きたいし。 温泉も行きたいし。 読みたい本も読みたいし。 「ワーク・ライフ・バランス」は頼まれもしないのに、 たらたらと残業代受け取って、ぬるい仕事する人を減らす ことと同義であり、つまらない、従業員を苦しめるだけの、 どうでもいい仕事を減らすことと同義のつもりだ。 結構シビアなキーワードなんだよね、実は。 で、ライフを充実させましょう。 ライフとは、人生。生き方。生活。 自分そのものとの対峙。 それをしたくない人が、仕事に逃げていた? まあ、そこまでは言いませんが・・・。 で、そこまできっちり見据えてないと、この言葉は 生きてこないと思うのだけど、 そこまでいけるかどうかは 扱う人の技量にかかっているのだと思う。 何が言いたいかっていうと、行政の今までやってきた ところの「公平・公正」を測るやり方・・・指標であったり 対応であったり、そういうのは、もはや通用しなくなって きているのではないかな?ということだ。 「多様性」は、自由だけどシビアだ。 同じシングルマザーの家庭であっても、税を使った支援を 行ってほしいと思う家庭のありようと、そうでないありよう がある。 一律に所得水準だけでは測れなくなってきていると思う。 奨学金でもなんでも、そこにある程度の公的な支援を 行うとなれば、ガイドラインが必要になるだろう。 それを決めるのは、かなり大変な作業だ。 でも、「一律」ではないやり方で、「信用」「信頼」を勝ち得る 方法は、海外のNPOなどではすでに始まっているのでは ないかしらん? (そこに、専門性の高い、公的サービスを行う非営利組織の 存在意味がある) 話が横道にそれちゃったけど、 ワーク・ライフ・バランスも、たぶん、同様だと思う。 何をして客観的な評価となすか? 全員を右向け右か、左向け左か、どっちでもいいけど、 同じ方向を向かせるための価値基準ではなく、 誰がどれだけ、強固に右を(左を)向いているかの評価 基準ではなく、 その人その人のバランスを尊重して、それが総体として バランスが取れている・・・なーんて、なんかよくわから ない雰囲気の表現。それをどう広げようというのだろう? でも、そういうことが言われ始めてきた21世紀。 21世紀になってだいぶたつけど、つくづく、 おもしろくなってきたワ。 と、思う。 つまり、世紀ががらりと変わるということ、 世界が次のステージに移るということのすごさを 改めて思い知る感じ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 14, 2007 12:41:53 PM
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