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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
杉山です。
「みんな」で集まっていても、ひとりひとりは違うから、 「この人にはここまで」 「この人だったらここまで」 というように、言うことや距離感が変わるのは 当たり前のことで、 それをコミュニケーションとか 人間関係と呼ぶんだろうと、思っています。 「親子」でいても、親と子で、伝えたいことは まったく違う、と、思っています。 さらに、わたし、子育て中のお父さん、お母さんに 何を伝えたいと思ってるんだろう?? と思うと、 (だって、育児雑誌のライターを始めたのは1993年ぐら いのことですから、わたしがずーっとやってきたのは、 そのことだったんだもの) その時期その時期のわたしの認識や、スキルで やってきたことも変わってきているわけですが、 今は、「同じ大人同士」として・・・という 目線でものを言い、書き、あるいは態度で示そうと しているんだ、と、思いました。 こんなのみつけたよ、シェアしてみない? 同じ大人同士として。 って感じかもしれません。 ・・・・・・・・・・・・・ 「ものの見方を変えてみたら?」 養老孟司さんと竹村公太郎さんの対談がメインの 『本質を見抜く力』PHP新書には、 ものの見方を変えるポイントがそこかしこに 紹介されています。 「明日のエコじゃ間に合わない」 とかテレビが言っているのを聞くと、うんざりして、 「だったら、お前(テレビ)が黙れよ(放映時間短くして 二酸化炭素の削減に貢献しろ)」 と思うぐらいは、まあ、本質を見ているつもりだったん だけど(ギゼンシャぶってるテレビが嫌いなだけかも)、 この本は、一貫して、 情動とか、情緒とか、そういうところを一切排除して、 「モノ」そのものから社会をとらえてみようという 試みになっています。 文明を下支えしているのは、安全、食料、エネルギー、 そして交流。 そのインフラの上に、政治や経済、産業、法律、学問、 宗教、医学、思想、芸術、スポーツなどの人間の活動が ある と、竹村さん。 でも、ややもすると、安全や食料やエネルギーや交流は 目に見えづらいため、「あって当たり前」と思い、 つい、その上部の政治や経済や産業や法律やそうした ところに目が行ってしまう。 でも、インフラがすごく大事・・・ ってなことを「エネルギー」や「少子化」「水」「農業・ 漁業・林業」といったテーマで語られている。 江戸時代末期は、日本の山は森林が伐採されつくして はげ山になっていたとか、 なぜ、フランス、イギリスは日本を植民地にするのを あきらめたかとか(災害ばっかで資源がないからってのが かなり大きな理由のようです)、 「太平洋戦争は石油に始まり石油に終わった」と 看破したのは、昭和天皇だったとか、 桓武天皇が平安遷都をしたのは、木材を確保したかった からだったとか(奈良仏教の悪影響からのがれたかった わけではなかったのね←日本史ではそう習ったけど)。 わたしは、そういう「身も蓋もない」話が大好き なので、 「ここから見てごらん」と、角度を変えることを すすめられ、 どれどれとやってみて、 「あ、そうかー!」と、発見すると、すごく楽しい。 で、今度は自分でもその視点から見てみようと あれこれ試したくなる。 (これって、「学びの喜び」ってやつじゃないのかなあ) いまの日本の教育は「見る目」を養おうとしない。 先に正しいやり方があり、正しい文字があり、 正しい発音があると思っている。 これでは話が逆です。 あるのは受け取る側の正しい聞き方であり、 正しい読み方であり、正しい見方なのだから。 百人いれば百人の角度が生まれて当然なのに、 それが同じだと思っているのが現代人です。 そもそも百通りの見方があるからこそ 一般化が必要になるということに、 誰も気づかないのです。 一番ひどいのが家族です。 同じ家に住んでいるから、同じことを感じると 思い込んでいる。・・・・・ おもしろそうでしょう? ここから先は、自分で本を手に入れて、 自分で最初から読んで、獲得していくしかない と、わたしは思います。 自分にとってほんとうに大切なことは、 そうそうやすやすと手に入ったりはしない。 みつけたい、探したいって切望の果てに、 それは、みつかる。 「情報をチョイスー」 「評価するのはわたしよー」 なんて、 クチをあけて待っているお嬢さんのところには、 「それなり」しか来ない・・と思う。 モノ、 すなわち五感(見る・聞く・触る・味わう・嗅ぐ)。 それが、リアリティ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 4, 2009 09:20:03 AM
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