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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
杉山です。
今日紹介するのは、 『いつもポケットにショパン』くらもちふさこ 集英社 です。 主人公はピアニストをめざして音楽学校に通う麻子。 そこに幼なじみの「きしんちゃん」やそのお母さんな どがからんでくるのだけど、わたしが一番好きなのは、 麻子とピアニストのお母さん愛子さんとのやり取りの 部分です。 演奏旅行で家を空けることが多いうえに、感情を 素直に表現するのが苦手な愛子さんは(娘の麻子も 当然ながら気持ちを素直に言えない気性)、娘ともぶ つかってばかり。麻子は自分は母親に愛されていないと 思いながら育ちます。 コンクールが間近になって、演奏旅行から帰ってきた お母さんにやっとレッスンしてもらえそうになったのに、 お母さんは逆にピアノに鍵をしてしまいます。 「どうしてこの人はいつもこうなの?」と、またけんか。 なのに、公開レッスンと称して自分と同年代の女の子の レッスンをしている。こっそりのぞき見すると、 「ここはキャベツの千切りをするみたいに弾いてみて」 と愛子さん。 「大事な娘に包丁なんて持たせませんわ、先生だって 娘さんにそんなことさせてらっしゃらないでしょう?」 みたいなことを言うその子のお母さんに、 愛子さんはちょっと誇らしげに、 「麻子はシチューが得意です」と答えます。 表現はその人が体験したり、感じたりしたことが、 全部正直に現れるもの。言葉では伝えきれないものも、 音でだったら伝えることができるのです、伝わるのです。 それがその人の音楽を豊かにします。 ・・・だから、お母さんは、決して甘やかすことなく 突き放して、私にいろんな経験をさせたんだ。 私は怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、悲しん だり、いろーんな経験をした。私の手はキャベツも切るし、 シチューもつくる、とっくみあいのけんかもするし、 ぐいっと涙もぬぐう。その手が、ピアノに向かっている!! それを、お母さんは認めてくれていたんだ、 それが全部お母さんの「愛」だったんだということが、 この「麻子はシチューが得意です」という一言に凝縮 されています。 わたしは愛されていたと気づき、 「お・か・あ・さーん!」と叫ぶけれども、なかなか 届かない。でもピアノだったら、きっと届く。娘と母が ピアノを介して、初めて素直になる。 この麻子と愛子さんの和解のシーンは感動的で、当時 高校生だったけれど、麻子に自分を重ね合わせてしびれ ると同時に、いつかお母さんになったら自分の子どもの ことをこんなふうに愛したいし、誇れる母親になりたいな、 と、思いました。 あわせて、いろんな経験をして喜怒哀楽を味わうこと で、人は豊かになり、それが言葉にもなるし音楽や絵画や、 いろんな表現となって現れるのだ、ということを教えて もらったのでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ よその子と比べてどうだこうだとか、お友達ママに 「○○ちゃん、すごいよね」と言われても、「たいした ことないわ」と謙遜するのが美徳と感じたりする世間で すが、「麻子はシチューが得意です」的なかっこいい、 わが子の自慢をしたいものだ、としみじみ思っています。 マンガみたいに子どもがどこかで聞いていたなんて シチュエーションにはならないかもしれないけれど、 その場にいなくても、そんなふうに親が思ってくれて いるというのは、きっと伝わるし、できることなら本人に 対しても、ちゃんとほめてあげてほしいと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 1, 2009 08:06:48 AM
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