みんな違ってみんないい
「みんな違ってみんないい」有名な詩人、金子みすずの詩の一節です。私は小さい頃から絵をかくことが大好きで、紙と鉛筆さえ持たせれば、何時間でも絵を描いているほどでした。中学生の頃に水彩画や油絵を描き始め、ずっと高校生の頃まで描き続けておりました。卒業してからは仕事の合間に、ポスター作ったり、チラシ描いたり、さて、そんな私だけど色を扱うようになって、たくさんの色を見るとなぜかわくわくします。色鉛筆なども、何色もあると嬉しくなってきます。この色を使って何を描こう、あの色とあの色を合わせたらこんな色ができてこんな雰囲気の部分にいいなーとか。色々描く絵について思いを描くのが大好きでした。色はたくさんあるから、表現の幅が広がるのであって、白と黒だけだと(それはそれでまた、侘びと寂びがあっていいvのだけど)表現の幅が制限されてしまう。いろいろな色は、色々なことを表してくれたりします。同じように人もまた、いろんな人がいるから「みんないい」って言えるのだと思うのです。いろいろな人がいるから、いろいろなことを学ばせてもらえる、そういった考え方でいると、だんだん視野が広くなって、物事を大局的に見れるようになります。日本には八百万の神という考え方があって、一年に一度出雲大社にはその八百万の神々があつまるという言い伝えがあります。日本で宗教に関する争いが少ないのは、そういった「価値観の多様性」を暗に認めていて、生活の中に溶け込んでいてたのでしょう。これは西洋の「一神教」(神は一人であってそれ以外に神様はいないという考え方)とは相反するものだといえます。しかしながら、日本人は「価値観の多様性」を生活やものの見方の中に取り入れていたからこそ、西洋文化の中から自分たちにとって良いものを取り入れ、それをさらに改良して、さらに磨きをかけて「磨かれたもの」を作り出してきました。日本人のよさというのは、そういったものから生まれてきたのだといえます。少なくとも近年までは・・・・。しかし最近は、行過ぎた西洋思想(西洋思想が悪いという意味ではありません)のため日本人の・・・いや、人としての「善なる部分」が失われてきたように思います。とくに資本主義社会は「競争主義社会」と呼ばれるように、格差ばかりが広がり、人を「勝ち組と負け組」と分けてしまったり学歴や名誉、お金ばかり追いかける心の貧しい国になってしまったような様相をしています。誰かが「誰も幸せにしなかった資本主義」といったのを少し思い出しました。資本主義が悪いわけではないのですが、行き過ぎると何事も多くの弊害が出てくるのかもしれません。以前にも書いたと思いますが、幸せの基準は見える形ではなく心の形だとおもいます。それには、他人と同じようになることで安心するのではなく、違いを認めること、いろいろなものの考え方や価値観があるからこそ、「楽しい」と思える心の広さ、つまり「寛容性」を持つことが大事なのではないでしょうか。私は、色鉛筆はたくさんあるから嬉しいです。いろいろな色が出せるから嬉しいです。同じように、いろいろな人にあって、いろいろなことを学ばせてもらえることにもっともっと喜びを見出せるようにしていきたいなぁといつも思っています。他人を非難するより、他人の悪いことを見てしまうより良い部分を見て生活することのほうが、きっと人生は豊かになりますよ。絶対に!。 花も色々あるから楽しいよ。