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カテゴリ:認知症の母
母が認知症になり、父がなくなってから
母を取り巻く私たち家族と親戚で いろいろと話をしてきた 当たり前のことだけど 介護する側、介護される側 取り巻く環境、症状の出方など たくさんのファクターで全く違うやり方、考え方になる みんな悪いようにしたいわけではないのに なんでこうもまったく反対の考え方になるのか それは、答がないからだと思う 症例や他の人の話はとても参考になるけれど 果たしてそれが母にとって良いものかどうかは 誰にも答えをだせるものではない なのに、こういったことがあるから 今の状況がかわいそうだからと 一方行で決めつけてしまうのは宜しくない 先日の日記に FB友達の浅田さんのおじいさんの手記を掲載したけれど これを読んでも分かるように 介護するという時点で すでに介護される側よりも高い位置にいることを認識したい 今日、昼前の電話をした時に叔母(母の実弟の奥さん)が ちょうど母の様子を見に来ていたようだった その後、お嫁ちゃんが叔父夫婦と話をしたとのこと 母の今の状況をみた叔母は 母を「かわいそうで仕方ない」と何度も言ったそう お嫁ちゃんと私は、 母が記憶をなくしたことを自覚していて 辛い思いをしているのを見て、 なんともせつない気持ちでやりすごすしかないけど 母のことをかわいそうと思いはしない 認知症になって、よりピュアな感情を持つようになった母 家族の絆を深めてくれて、以前より笑うことも増えた だれにも迷惑をかけたくない、役に立ちたいという シンプルで素晴らしい思いだけで、がんばっている 何とも、素晴らしい人間らしさではないだろうか 母の笑顔は瞬間で、不安な時間のほうが長いけど この瞬間の笑顔を大切にしたい思いは 普段母の笑顔に触れていないと、気づかないと思う 叔母は、 「ゆかちゃんは、電話をしても、 お母さんが無事かどうかだけを確認してるだけだから 本当のところはわかってない」とお嫁ちゃんに言ったそう 確かに私は、日に何度も電話をしているとは言え 母の不安の時間をカバーする程、 長い時間をかけているとは言えない でも、母がこの瞬間だけでも、 少しでも笑顔でいてくれることを願ってそのための話をする これが正しいかどうかなんて分からない ただ、思いやることは、どんな関係であっても大切なはず 思いやるということは、相手の気持ちと共鳴すること 一段上から話をしても仕方がない それはピュアになった母が教えてくれた大切なコト どうも今日の母は、何かを言われたようで いつもと違った不安な言葉を口にしていた 何を言われようが気にする私たちではないけれど こういうことは気をつけたいな 母のことを書いている間 ブログランキングに参加することにしました ポチっと応援していただけると嬉しいです ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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