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『日本文化主義』尋牛亭日常の箴言

『日本文化主義』尋牛亭日常の箴言

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 長い歴史ある日本と違い、中国とは異なる周辺民族よる殺戮支配が繰り返され、現在はハッチワークのように他民族を人権無視で無理矢理、共産党が束ねている国家という認識が正しい。

 中国や韓国とは究極のグローバルの格差社会で、汚職や賄賂も多く、既得権者たちが内政の失敗をごまかすため民度の低い反日国家になってしまっているようだ。多くの善良な人々が不幸ですね。


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わが国は、建国の理念にたちかえり、家族国家を取り戻すこと。そのために、ひとりひとりができることをする。それが日本の日本人が、すべきことなのではないか。大東亜戦争の教訓と体験に学び戦死した人々を無駄死にさせないようにするためには国益のため『日本文化主義』の文化防衛という考え方でリーダシップのある類い稀な資質、明確な目的意識とアイデアを持った首相(大統領制にした方が国際社会に政治的アピールもよいのだが、いまの政治家たちは分かっていない)になってもらいたい。『
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2013年02月20日
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 岡山県の西粟倉村を2回に分けてお送りする。初回は青木秀樹村長のインタビュー、明日は西粟倉・森の学校を運営している牧大介さんのお話をお届けしたい。

 

     西粟倉村は岡山県の最も山深い鳥取県との県境にある。林業と農業が主な産業で、ご多分に漏れず日本が戦後復興を果たしていく過程で取り残されてきた村である。

 しかし、その村がいま林業で甦ろうとしている。

 西粟倉村の杉の木は日本だけでなく広く世界に知られる木材のブランドとして認知され始めたのである。背景には世界的に足りなくなった森林資源がある。最近、御神木が何者かによって枯らされるという事件があったが、良い材木が手に入りにくくなったという事情がある。

 21世紀に入って始まった地球規模の発展がもたらした皮肉とでも言おうか、平地の少ない日本が放置してきた森林資源が世界的な注目を集めるようになってきたのだ。

 安倍晋三首相は2月18日の産業競争力会議で農業を輸出産業にすることを目指すと発言しているが、林業も極めて成長する可能性が高い分野だと言える。西粟倉村で始まった試みが発展すれば、日本という国がまた一段と輝くに違いない。

国の合併方針に乗らず、自立して森林再生の道を歩む

川嶋 西粟倉村は、道上正寿前村長(現・森林組合長)時代の2009年から、森林再生「百年の森林構想」に取り組んでおられますね。役場が村の森林を一括管理しようというというユニークな試みですが、それはどういう経緯で始まったのですか。

青木 きっかけとしては、いわゆる「平成の大合併」で、我われは周辺の町村とは合併せず、単独でやっていくことを選んだことです。

川嶋 今となっては合併を選ばなかったのはよかったですよね。合併した自治体はあと数年で地方交付税を減らされてしまうわけで、これから塗炭の苦しみが始まりますよ。

青木 確かにそうです。ただ、当時の雰囲気からすれば、そんな地方交付税の問題はぜんぜん議論になりませんでした。

川嶋 政府は合併を進めるためにそういう説明はあまりしなかった。

青木 そうです。まず合併ありきで、いいことばかりぶら下げたわけですよ。おかしな話ですけど。その当時、私は村議会の議長でしたが、道上前村長と2人3脚で、じっくり取り組んでいました。いずれは苦しむことになるだろうなという予想がありましたから。

 でも、議会や村民への説明は難しかったです。年配の人たちには国が悪いところに我われを導くはずがないという考えがありましたから、国の説明とお前らの説明のどっちを信じればいいのかと。

 

ラオスが西粟倉村を森林整備のお手本にしたいと言ってきた

青木 FSC認証といえば、それがきっかけでラオスとの交流が始まりました。

 昨年6月に、ウチの村にラオスの農林省の副大臣(Dr. Phet PHOMPHIPHAK)が視察に来たんです。もともとは津山市に畜産関係の視察に来られたんですが、それを案内したのが西粟倉村出身の萩原誠司さんという元国会議員で、彼はせっかくだから自分の故郷も案内したいということで連れて来られた。

 それで副大臣がこの村長室に来られ、椅子にFSCの認証があることに気づいた。彼の話では、ラオスも今FSCに非常に関心を持っていると。

 ラオスは国土の約7割が森林ですが、かつて日本の商社が乱伐したという過去があるんです。それで森林の2割ぐらいが破壊された状況にあり、西粟倉村では森林をどう管理しているのかと聞かれました。

 西粟倉村でも戦後の拡大造林で同じような事情がありました。国も森林に関してこれまできちっとした政策を打ってこなかった。そこで現在、「百年の森林構想」で森林整備に取り組んでいると説明しました。

 実際に山を案内し、間伐材を使った割り箸の工場など一連の施設を見学してもらったところ非常に興味を持たれた。それでぜひラオスの森林整備に協力していただきたいというわけです。しかし、私はラオスがどういう国かも知らない(笑)。

 その後、招待状をいただき、昨年11月に村議会の議長らと4人でラオスを訪問しました。実際に行ってみると、ラオスは発展途上国ですが、仏教国ですから違和感はないし、昔の日本のような懐かしさを感じました。現地を見るために山にも行きましたが、クルマで山道を8時間も走って大変でしたよ(笑)。

西粟倉村を窓口に、ラオス産の神社仏閣用材木や薪の輸出を検討

川嶋 協力というのは例えばどんなことをされるんですか。

青木 まずは荒廃する森林をいかに再生化させていくかということから始めて、川の灌漑や、小型の水力発電などでも協力できるかなと思っています。

 ラオスは現在、材木の輸出を禁止しています。しかし、ラオスにはまだこれといった産業がないので、資源をおカネに交換する作業も同時に必要になる。それでラオスの農林省は、西粟倉村を窓口にするならば日本に輸出してもいいと言っています。

 ラオスには樹齢何百年という古いヒノキがあるんです。一方、日本では今、古木に困っています。

 日本にはたくさんの国宝級の建物があり、唐招提寺だとか法隆寺だとか1300年以上経つ古い建築物がありますけど、傷んでいて修復が必要なものもある。しかし、そのための材料となるヒノキがない。

青木 例えば、法隆寺に使われた最初の木は当時すでにあったもので、1000年以上経った木です。そういう木が当時はあったと思われます。ところが、時代が新しくなるにつれ、そういう古い木ではなく100年くらいの木を使っている。そうすると最初の古い木に負けてしまうんですよ。

 法隆寺はおそらく鎌倉や室町時代、江戸期にも修復されていますが、鎌倉時代にした修理のほうが土台よりも悪くなっている。つまり鎌倉時代の木のほうが、飛鳥時代の最初の木よりも悪くなっているということがあるんです。

川嶋 古い木ほど強いと。そうすると1000年というような木を育てていかなければいけないわけですね。

青木 そうです。最近、神社の御神木が除草剤で枯らされたという事件が話題になりましたよね。つまりは、材がないわけですよ。材がないので市場に出てこない。だからあんなことをした。

川嶋 要するにああいう古い木が日本にはもうないわけですね。

青木 ないです。お宮にあるような木でも樹齢数百年です。1000年以上経っているものはたいていはヒノキですが、日本にはないので現在は台湾のヒノキを使っている。

 しかし、台湾でもだんだん減ってきていて、いつかはなくなります。そういう意味では、ラオスの古いヒノキは需要がある。全国あちこちに電話して聞いてみたんですけど、需要はあります。

 それとは別に、暖炉で燃やす堅い木があるので、薪を日本で売れないかという話もあります。それが産業になるのかどうか分かりませんが、手助けにはなるかと。ラオスの経済レベルからいうと、薪だってそれなりの輸出資源になりますから。

 日本でも薪ストーブがちょっとしたブームになっているので、取り組んでみようかとは思っています。ラオスの薪ならば、今の市場価格の半分以下になるだろうと思います。

川嶋 それは素晴らしい。ぜひ西粟倉村がラオスと日本の材木流通の中心になってほしいですね。

日本の山村が県や国を通さず、世界とつながれる時代

青木 ラオスで印象深かったのは、人々の生活です。例えば、家畜なんかが全部放し飼いになっている。そういう様子を見て、我われの社会はどれだけイビツなのかと感じました。

 日本では犬一匹さえ野放しにはなっていない。ブタにせよ牛にせよニワトリにせよ放し飼いなんかいないわけです。そういう環境で我われは本当に正しい生活をしているのかと考えた時に、不自然な世の中を自分たちでつくって、その中で苦しんでいるんじゃないかと考えました。

青木 だから、日本で多くのストレスや悩みを抱えている方も、そういうところに行くだけで解決する部分もけっこうあるなと思いましたね。

 ウチも村としていろんな形で協力していくつもりですし、何らかの手伝いはできると思います。ですが、我われがラオスに何ができるかということよりも、それ以上にこちらからラオスに行った人が得るもののほうが多いと思います。

 ですから、村の住民をラオスに送り出し、そこで何かしら気づきを得てもらえればと思っています。

 ラオス農林省の副大臣にもお話ししたんですが、失礼かもしれませんけれど、日本の中における西粟倉村の位置づけと、世界の中におけるラオスという位置づけは似ているような気がしますと。

 西粟倉村は、日本では都市に人口と機能が集中していく中で取り残されたような田舎です。しかし、さまざまなものが失われていく環境の中で、都会から遠く離れた山間部だったからこそ、失われなかったものも多い。それが後で大事なものだったと分かる。

 ラオスにも、世界がグローバリゼーションでどんどん価値観が画一化され、いろいろなものが失われていく中で、ラオスにしかないようなものが残っています。それは、ある意味ラッキーだったのかもしれないと。

 ウチは森を中心としたいろいろな生態系、自然環境を残す仕組みをつくっていき、ラオスもしっかりと今の環境を守り通すということになれば、世界において非常に価値が高いものになるんじゃないかと思います。

川嶋 それはいい対比ですね。非常に価値のあるものになると思います。

青木 我われも、追いつき追い越せという発想ではなくて、逆の発想でいくべきじゃないかなと、そういう時代であると思います。私はラオスで図らずもそういうことに気づいた。

 今の消費社会を発展させていっても頭打ちで将来がない。私はグローバリゼーションには限界があると感じていまして、日本も成長モデルをどうしていくかという過渡期です。あらゆる意味で殻を破っていかなければいけません。

 副大臣も非常に共感されて、そういうものを大事にしたいということを共通項で認識し合えたので、ラオスの農林省とウチとで覚書を締結しました。

川嶋 面白いですね、村と国との協力関係というのは。

青木 国や県の世話になったわけではなく、自らの村でできたことについては私も非常に可能性を感じています。我われが開けたのは小さな穴だけど、村の人にもそういうことに気づいてもらえれば、きっと面白い地域が出来上がっていくんじゃないかと考えています。

川嶋 楽しみですね。西粟倉村が直接、東南アジアとつながるなんて。そこを足掛かりにして、世界の森林再生事業を西粟倉村から展開していっていただきたいですね。






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Last updated  2013年02月20日 11時05分36秒
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