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菅原御伝記には書かれています。 天穂日命十四世の孫、野見宿禰は垂仁天皇崩御の際、その喪葬に任じ。 ついで皇太子(景行天皇)はさらに土師氏をもって陵戸に充て、兼ねて山守たらしめた。 爾後、土師氏は永く菅原の地(菅原伏見邑)に住することになり、奈良朝の末、天応元年(781年)居地によって菅原の姓を賜ったのである。 事実土師氏は長きにわたって「葬式屋」と陰口を叩かれ続けていたのでした。 旧西郷邸のサクラです。 明治政府を辞し鹿児島に戻り 西南戦争で亡くなるまで暮らした家のあとです。 まだまだ満開とは言えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月01日 01時26分24秒
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