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カテゴリ:私見・薩摩学原論
![]() 1571年・・錦江湾では派手な海戦が繰り広げられていました。 鹿児島の守護に任命されたばかりの島津氏に 鹿児島のあらくれどもが黙って従うわけもなかったのです。 島津氏が鹿児島を治めるためにはまずあらくれ番長たちを力でねじ伏せるしかありませんでした。 島津氏の守護所のあった鹿児島に上陸して狼藉を働いたのは肝付水軍きもつきすいぐんです。 由緒ある荒田八幡あらたはちまんという神社を襲います。 祀られていた宝物や長く守ってきた宝物をことごとく持ち去ってしまいました。 肝付水軍が勝ったかに見えたこの戦いでしたが。 このとき荒田八幡の神様たちが反撃に出ます。 いつもは穏やかな錦江湾が荒れ狂います。時ならぬ嵐に船は今にも沈みそうになりました。 あわてふためいた肝付水軍が運び出した荷物を全て海に投げ捨てると 水軍はかろうじて沈没を免れることができました。 このときの肝付水軍・肝付家の末裔が肝付尚五郎=小松帯刀です。 この島津の守り神・鹿児島荒田の産土神うぶすなのかみ荒田八幡の六月灯は今夜と明日です。 こわ~い神様たちがいっぱい祀られているんですよ。 けれども 写真がボケテいるのは単純に私の腕のせいですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月24日 20時39分05秒
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