俳句はやめられない
俳号をかえて出発 梅の花 弘子今は亡き弘子先生が、句会入会2回目の私のことを詠んだ句。私は、初回で本名である「悠紀(ゆき)」を俳号にしたら、姉弟子さんとかぶってしまったので、2回目は「悠(ゆう)」と改めた。それが先生の印象に残ったらしい。その時から、「悠ちゃん」と呼ばれ、先生の向かいの席で、色んな話を先生からきいた。今でも俳句で世話になったひとにはそう呼ばれている。今考えれば、勿体ない話。弘子先生が亡くなって、句会の人間関係がまずくなってから、退会。大阪倶楽部の句会に出たが、それも苦痛になり多忙を理由に句会に通わなくなり、自分の中では俳句界を辞退したつもりだった。けど、心底やめられなかった。事故後の後遺症の具合が良くなく、句会出席は見合せになったが、現代俳句協会のインターネット句会に参加することに。