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先週木曜日、震度6強の余震に襲われた。正直、あのような大きな揺れを感じたのは生まれて初めてで正直怖かった。正直家が崩れるとさえ思わせるような揺れであった。
当日、11時半過ぎにシャワーを浴びろうと思い脱衣場で裸になったものの、尿意に襲われ裸のままトイレに行った。急いでトイレに行ったことと、大震災の影響で家が微妙に傾きトイレのドアはきっちり閉めないと自然に開く状態になっていたために、たまたまトイレのドアを開いたまま小便をした。 その瞬間だった。ものすごく大きな揺れに襲われ、トイレのドアの前にある食器棚が見事に倒れてきたために私は食器棚を必死に支え、食器棚の上においてあるホットプレートも必死に支えた。 同時に家の電気は全て消え、キッチンにおいていた洗物をするための大量の水も見事にこぼれ、キッチンからトイレは水浸しになった。 今考えると、あの時トイレのドアを閉めて小便をしていたら確実に倒れた食器棚にドアをふさがれ、携帯もない状態で閉じ込められるところだった。奇跡としか言いようがない。 光もない真っ暗な状態で何が起きたのか、部屋の中がどうなっているのか分からずに、相当不安だった。 冷静になり、まずは携帯を探そうと思っていたところ、地震により机においていた携帯が落ち、閉じていた携帯が開いた状態になっていたので、画面の光が頼りとなりすぐに見つけることが出来た。 次に探したのが懐中電灯。宮城に来る前に母親が買ってきてもたせてくれていたので、それを何とか探し出し、まずは家の外に脱出した。 どういう状況になっているのか全く分からなかったので、まずは外の車に乗ってテレビで情報を集めようと思った。駐車場の横の壁も怖かったので(過去のブログ参照)取り敢えず車を出しうろうろしながらコンビ二の駐車場までいった。 停電により道は真っ暗、信号も消えており、あんなに危険な運転をしたことはない。沢山の人が車で脱出しており、どうみても12時近くの交通量ではなかった。 コンビ二の駐車場に停車し、テレビから情報を集めつつ、家族と連絡を取り心配してメールをくれた仲間にも返信した。発信規制でほとんど繋がらなかったのだが・・・。 ゆっくりと状況を受け入れ、家に帰ったのは夜中の3時。もちろん電気、ガス、水道は全てストップ。その日は懐中電灯の光を頼りに取り敢えずキッチンの床とトイレをふきあげ、外れたドアをはめ直し、取り敢えず一時間だけ仮眠を取り、6時におきた。 やはりライフラインは全てストップ。何本か買い置きしていたペットボトルの水を少しずつ使いながら顔を洗った。もちろん前日はシャワー浴びれていないので、汚いまま出勤である。朝ごはんも食べれず、トイレの水も流すことが出来ずに尿をためるしかない状態でした。 翌日は眠い目を擦りながら何とか仕事に行った。職場には前日の地震の際に、直後に病院に駆けつけ翌日まで泊り込んでいたリハスタッフもいて本当に頭が下がる想いだった。自分のことで精一杯だった自分と比べ、そんなときでも相手を患者さんのことを思い病院に駆けつけたリハスタッフ。自分は小さいなあと感じました。 金曜仕事を終え家に帰ると朝まで消えていた近くの信号は点灯し、うちの街灯も点灯しいていた。部屋のドアを開け、ブレーカーを挙げた瞬間のあの感動は今でも忘れられない。 しかし、水は出る気配が全くないために、夜は知人に水をもらいに行き、限られた水でお湯をやかんに沸かしながら、そのお湯と水を少しずつ混ぜながら髪と体を洗った。顔を洗った水は洗面所の栓を閉め下に溜まるようにして再利用できるようにした。そんなぎりぎりの生活が今日の夕方まで続いた。 そして、今日の夕方、蛇口をひねって水が出た瞬間のあの感動。果たして水が出ることにこんなに感動したことはあっただろうか、何度も蛇口を閉めたり開いたりして水が出るのを確かめ感動をかみ締めた。 光があること、水があることに本当にこんなに感謝したことは今までなかった。当たり前すぎて感謝の気持ちを完全に失っていた。 現在宮城県では震災の影響でリハの研修会などは全く開催されていません。その状況に若干あせりも感じていたという部分もありますが、今感じることは消してPTとしてではないのかもしれないものの、ヒトとして本当に大切なことを沢山学ばせてもらっているような気がしています。 水、光、そしてエネルギー、本当に感謝感謝です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 11, 2011 12:30:33 AM
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