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宮城で臨床をはじめて約2ヶ月。担当する入院のゲストには、宮城に来る前に予想していた通りに被災された方々、地震によって怪我をされた方などを担当させていただく機会も何度か訪れるようになってきた。
その中でも、今私の中で一番頭の中で自問自答しているゲストが一人おられる。その方は女川在住の方(宮城県の女川原発がある所)で年齢は70代後半である。津波により家を全て流され、地震によりぐちゃぐちゃになった家の中からバック一つを手にして命からがら避難所に逃げてきたそうだ。孫のために一生懸命にためていたへそくりも家も思い出も全て流されてしまったそうだ。 そんな中、女川の避難所での生活が始まった。毎日ダンボールの上で生活し、夜は椅子に座って寝ていたそうだ。そんな中で満足に体が休まるはずがない。仮設トイレも大人用が数個と子供用のおまるのような小さな簡易トイレが数個。非難住人に対して明らかに少ない数だったそうだ。 トイレに行くにも周りにも気を使い列に並ぶのが大変だったので仕方なく子供用に腰の低いおまるで用を足したそうだ。その大きなおばあちゃんは凄く体を小さくし丸めておまるに座っていたことだろう。そして、立ち上がる瞬間に・・・腰椎圧迫骨折。 避難所はこんなことが日常的に起こるような状況なんだろう・・・。 家のローンは10年以上残っている。仮設住宅に住めるのは長くて2年。住宅全壊の住人に配られた一次金はたったの35万。仙台の次男の家にずっと住まわせてもらうわけにはいかないという強い思い。 そんな状況の中でもそのゲストは女川の仮設住宅に、地元に帰りたいと言われます。 今病室にあるのは、津波に襲われた際に命からがら持ってきた、そのバック一つだけです。 『これが私のすべてだからね。』といつも笑って、そういわれます。 何が出来る?病院の中ではPTとして働いているが、それ以上に人として何が出来る?被災にあわれた方の思いや恐怖は、九州でこの地震をメディアを通して見ていた私には到底図り知ることが出来ないものだろう。 日々、自問自答。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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