バス停地名学のすすめ

2008/05/18(日)22:41

第204回 【梅70編(38)】 箱根ヶ崎(はこねがさき) その2

瑞穂町(6)

(前回からのつづき) バスを降り、掲示されている路線図からバス停数を数えてみると、箱根ヶ崎は起点の柳沢駅から63番目(※)のバス停であり、これで全行程の約3分の2を消化したことを確認しました。 バス停から青梅街道を少し戻ると、日光街道との交差点があります。箱根ヶ崎は江戸期の宿駅でしたが、もとは八王子の千人同心が日光勤番に際して往き来した日光往還(日光街道)の宿駅として発展しました。八王子から数えると、拝島に続く第二宿になります。青梅街道との交差点付近が宿の南端にあたり、順に上宿、中宿、下宿と分けられていました。 交差点から日光街道を歩いてみると、随所に古い商家なども見え、歴史の刻まれた街の面影を感じ取ることができます。やがて残堀川を渡る大橋に出ますが、ここはかつては大橋場と呼ばれ、現在もすぐそばに西武バスの大橋場バス停があります。橋の親柱には常夜燈を模した飾りがついていますが、これは震災までこの地に大きな常夜燈籠があったことを示しています。 バス停に戻り青梅街道を西へ歩くと、すぐ右手が円福寺です。幕末の戊辰戦争の際、彰義隊から分かれた振武軍が、彰義隊の動向を窺いながら一時駐屯した寺でもあります。寺の東側には旧名主の村山家が隣接し、庭先には振武軍駐屯の際のエピソードが残る名主村山為一郎(一直)の簿銘碑が、街道に面して立っています。また、瑞穂町は「だるま(東京だるま)」を特産品のひとつとしていますが、円福寺は毎年一月のだるま市の会場ともなっています。 (次回へつづく) (※)3月末に小川一番~東大和市駅間に小川1丁目アパート前バス停が新設され、[梅70]全体のバス停数がひとつ増えました。 人気blogランキングへ

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