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ソウル生活〜

ソウル生活〜

手術と入院生活

<手術と入院生活>


手術なので、もちろん食事は昨日から無し。

手術同意書に偽ヨンがサイン。

全身を消毒し、左足の毛を全部剃られ、病院であてがわれていたパジャマも脱がされ、シーツに覆われて手術室へ向かった。膝の手術なのに、なんで全身裸になるんだ?

点滴されながら、ベッドに横たわり、手術室まで向かう景色。

天井を見ながら、歩いたことはないので、初めてみる景色。
心配そうな顔の偽ヨン。

もう二度と顔を見られない??

そんなことあるはずがないけど、全身麻酔なので、もしかして@@@

もありうる。

手術室の中に入って、一人ベッドに寝たまま、まわりの看護婦さん、お医者さんをながめていた。カチャ、カチャ、金属性の音が響き渡る。みんな緑色の手術着を来て、帽子をかぶって、テレビの手術室と同じ光景だ。

なんて余裕もあった。

昨日、会った医者の声が聞こえてきた。そろそろ手術が始まるのかな・・・

と思ったら、

意識がなくなっていた。



麻酔が覚めて目が覚めたときの記憶は

無い


しきりに、名前を呼ばれて、起きろ、起きろ

と言われたような気がするけど


全身麻酔をしたので、夜の12時までは体を少しでも動かしてはいけない、起こしてはいけない、と言われた。
体を起こすと、麻酔薬が頭にまわるので、危険らしい。

ということはトイレも行けない。

寝たまま、しろ! ということ。

点滴をしているので、トイレに行きたくなるじゃん。

ついに我慢できなくなって、ベッドに 寝たまま した。

カーテンをベッドの周りに立てたが

したいのに、なかなか出なかった。

やっぱり、寝たまま用を足すのは、脳が許さないようだ。

麻酔が切れてから、痛いの、なんのって

前もって、麻酔が切れると痛いですと申し渡されていたが、我慢できるような痛みじゃなかった。全身に太いくぎを打ち込まれたような痛み。

手術をして、骨をクリップのようなもので留めたのだから、そりゃ痛いだろう。停めたクリップは2本ある。
昨日の夜のアジュマのように、私も大声で「いたい、いたい」叫びたかった。

動くのも駄目だと言われているので、痛いのに動くこともできず、
小さい声で「いたい、いたい」と偽ヨンに訴えた。
あんな痛みは初めてだった。

1日会社を休んだ偽ヨンは、木曜日は会社に行かなければならないので、
夜の11時に高校の卒業生と付き添いを変わった。

チュンチョンまで帰るのに2時間かかるから、遅くまではいられないのだ。

12時を過ぎて、トイレに行きたくなった。12時を過ぎたから、起きてもよい。

しかし、ベッドから車椅子に乗るのが大変。

足は上から下までギブスで固定されている。
動くと痛い。動かなくても、死にそうなほど痛い。

卒業生も付き添いなんかしたことないから、ほしそらをどうやって車椅子に乗せればいいのか、わからない。

四苦八苦、ほんと苦労してやっと車椅子に座れた。痛いのとトイレに行きたいのとで涙がにじんでいた。

その時、同じ部屋の付添人が叫んだ。

「アンデー、アンデー(駄目だ、駄目だ)」
と叫んで、私に突進してきた。

点滴のビンを私の膝の上に置いていたのだ。

血が点滴のビンに逆流するところだった。血がチューブの中を通り、点滴のびんに入るところだった。だから、点滴のビンは上の方にぶらさげているのか。知らなかった。

車椅子に乗って、トイレに行っても、車椅子から、トイレに一人では座れない。

パジャマのズボンをおろして、パンツもおろしてもらいながら、座らせてもらった。不思議なことに、恥ずかしい気持ちは全然なかった。

思考力もなく、されるがまま。

1日目はほとんど寝られなかった。

付き添ってくれた卒業生は大学の授業があるので、朝、大学へ行った。

昼間は面倒を見てくれる人がいないほしそら。トイレ心配。どうしよう。


しかし、付添人が3人部屋にいる。二人は嫁と娘が交替でやってくる。
もう一人は、家族が付き添いをしないで、お金を払って付き添いを雇っている。

その付き添いさんが親切な人で、私に付き添いがいないので、私のことも気にしてくれた。トイレに行きたいなーーとベッドに起きあがると、すぐに飛んできてくれて、車椅子に乗せて、トイレまで連れていってくれた。

プロなので、うまい。

ベッドから私をおろすときも、体の向きを私に指示し
楽に車椅子に座れるように教えてくれた。

トイレに行っても、トイレに座ると、左足はギブスで固定されているので、体に対して90度になっていないと痛いのだ。足のしたに置くようのクッション枕も準備してくれて、トイレで痛くない使い方を教えてくれた。

もちろん、ズボン、パンツもおろしてくれた。

二日目の夜は別の卒業生にきてもらった。

彼女も昼間は大学があるので、昼間はいつも誰もいなかった。

三日目は、寝に来てくれる人が見つからなかった。

看護婦はトイレに行きたいときは、言いなさいと言ってくれたが、
歩けない私がどうやって言いにいくんだ。

夜、トイレに行きたくて起きあがると、となりの患者のお嫁さんが気配を感じて、すぐに起きて手伝ってくれた。

昼間も、付き添いをしているお嫁さん、娘さん、だれかれとなく、トイレ、食事の面倒をみてくれた。

何人の人に、ズボン、パンツをおろしてもらったことか。

3回の食事の後には、歯も磨きたいし、

朝、晩の洗顔

一日数回のトイレ、トイレはギリギリまで我慢したけど、限界があるからね。

本当にいろいろな人のおせわになった。ありがとうございます。

看護婦はいつも「なんで保護者がいないんだ!」と怒ってたけど。




病院の食事はとてもよかった。

日本の病院のようなまずしい、まずそうな食事ではなかった。

おかずの種類もたくさん、いつもおいしかった。

完全看護ではないから、食事も部屋の前で名前を叫ぶと、付き添いが食事のトレーを取りに走らなければならない。

食事が終わった後もしかり。

ほとんど昼間は誰もいないので、私の面倒は部屋の付き添いをしている人が、いつもしてくれた。

今思っても、ありがたい。当たり前の顔でしてくれた。

三日目の夜には、学校の相方と中国人ネイティブの先生がきてくれて、病院にあるお風呂?にシャンプーができるベッドがあったので、シャンプーをしてくれた。

退院は日曜日にした。

退院の前にもシャンプーを偽ヨンにしてもらい、
ギブスの足が下がると痛いので、足をいつも90度にしながら、
うちまで帰った。

実は退院してからの方が大変だったのだが、相変わらず事の重大さの認識ができないほしそらだった。

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