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カテゴリ:Book
クリスチャンの葬儀
イムマヌエル綜合伝道団 三森春生 100円トラクトの割にいい内容。 焼香は偶像礼拝だからダメ、献花すればいい、みたいな単純なことではない。 焼香の意味は何か、献花なら偶像礼拝にはならないのか、という問題はややこしい。 ややこしいし微妙だけど、牧師やカリスマ伝道師の言うことを鵜呑みにするんじゃなく、周りとなるべく順応して、自分で調べて祈って判断し、順応出来ないところは謙虚に「出来ない」と言う。のが大事だと思う。 不祝儀(御霊前)に金銭とお悔やみの手紙を添える、と言うのはいいなと思った。 お仕着せがましくない愛のプレゼントだと思う。 Syncretism(シンクレティズム)という単語は初めて聞いた。 「日本人は生まれたらお宮参り、結婚式はキリスト教、死んだら仏教で節操なくて〜うんたらかんたら〜」と言うのをよく聞くけど、そもそもいろんな宗教を齧ってるのではなく、世界をレイヤーで捉え、シンクレティズムが日本人の宗教観なんだと思う。 シンクレティズムは、他の宗教に寛容だけど、排他性を求める宗教に関しては非寛容。 私が言いたかった事はズバリそういう事だった。 「キリスト教とかの一神教は寛容性がなく、視野が狭い」的な事を言われるけど「これだけが正しい」と考えてる人も受け入れるのでなければ、寛容とは言えない。 まぁ、的外れな非寛容クリスチャンにも問題があるのだけど。 「果たしてそれが神の栄光をあらわす事になったのでしょうか。何か本質的な問題から浮き上がっているような気がします」 というような事は、今までの教会生活でも色々あった。 人間の作ってる組織だからしょうがないのかもしれないけど。 でもやっぱり、自分自身で調べて、考えて、祈って決めるべきものを他の人の判断を鵜呑みにしている気がする。 それは素直とは言わないと思う。 「迷信に捕らわれてる人を蔑んだり、議論の相手にしないよう気をつけましょう」 その通り。 愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。 (コリント人への手紙I 13:4〜8) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年02月23日 20時34分53秒
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