生保やめた
はじめに、これは、あくまでも私の意見だということを断っておく私は、10年くらい前から、某大手会社の生命保険をかけていた。年齢の割には、結構な金額を払っていた。主な理由は中年以降の掛け金アップを減らすためだ。生保は、中年以降にがーんと掛け金が上がる。それを考えないで手頃なプランに入っていると、あとで急に大変になる。まあ、それはおいとくとして、今回、一切の解約を決めた。理由はいくつかある。まあ、一番大きいのは金銭的な問題(苦笑)しかしそれ以上に、保険のあり方について私なりに疑問を感じてしまったからなのである。保険料が高額なのは、基本的に貯蓄部分が含まれているからなのである。外資系が安く(見える)のは、基本的にこれがないからである。さて、この貯蓄というのがくせ者なのである。若いときに少しずつ蓄積しておいて、将来働けなくなったときに、それを還付しましょう、と言うのが大体の主旨だ。でも、将来って何?なのだ。将来のために、今を我慢(語弊あり)するというのは、何かが変だと思ってしまったのだ。将来って、「今」の延長上にあるのではないのか?「今」何をしていくかで、将来が決まるのではないのか?得体の知れない(さらに語弊あり)将来のために、「今」を犠牲にするって、なにか変に感じてしまったのだ。これは、年功序列、終身雇用時には優れたビジネスモデルだったのだろう、たぶん。毎月の定収入の中から、一定額を納めてもらい、老後に還付する。中高年になって金額を跳ね上げるというのも、医療的なリスクももちろんだけど、年功部分に依拠していることは明らかだ。これ、結局、無駄遣いしないように、お母さんが子供のお年玉を貯めておくのと、感覚が似ている。(ところで、大人になってから、きちんと子供に還付してあげたお母さんっているのか?うちはそうなっていないような・・・(笑))正直、今かけている金額を自分の生徒や、自分自身への投資に使いたいのだ。「今」を大事に生きようと思ったときに、あの保険金は実に割に合わなくなってしまったのだ。万が一の保証なら、自分が支払える範囲での保険はいくらでもあります。掛け捨てですけどねでも、それで十分、と思ったのです。「万が一」のために払える金額を冷静に考えてみたのです。それからもう一つの理由。突然の解雇から始まって、自分の生活をダウンサイジングしていったときに、贅沢しなければ、自分が生きていくお金ってそんなに必要ないことに気が付いたのです。(もちろん、私が独身、ローンなし、マイカーなしというのもありますけど)だから、老後の蓄えにもそんなに額はいらないと言うことに気が付いたのです。だから今回、解約を決めたのです。まあ、あくまでもこれは私の偏見であって、生保が不要とは全く思ってません。「家族への愛」という宣伝文句もわかりますしね。でも、私は私なのです。