2181267 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | 音楽・歌謡曲・懐メロ | 懐メロカラオケ | 懐メロ歌謡曲・カラオケ | 橋幸夫 | 美空ひばり | フォト・花・伊勢神宮 | フォトブログ・曽爾高原 | フォト・花と実・斑鳩の里 | 日本映画・小説 | フォトブログ | SF映画 | 猫のフォトブログ | 株・日本航空 | 音楽・紅白歌合戦 | 日本映画(邦画) | 外国映画(洋画) | SF・天文学 | 童謡・唱歌・歌曲 | 唱歌・抒情歌・童謡 | バンクーバー冬季オリンピック | フォトブログ・園芸、春咲く花 | 梅・桜・花のフォト | 国内旅行 | 歴史・奈良遷都 | のだめカンタービレ・クラシック音楽 | バラの花のフォトブログ | 花遍路・花のフォトブログ | スポーツ | クラシック音楽 | 洋楽ポピュラーミュージック | 時事問題 | 芸術・陶芸 | 原発問題 | 奈良散策 | 藤の花 | 京都散策 | 将棋・藤井聡太四段 | ブログ | 美術鑑賞 | 葛飾北斎 | 紅葉狩り | NHK朝ドラ「エール」、古関裕而 | 将棋・藤井聡太 | 東京オリンピック、パラリンピック | 巨樹探訪 | 将棋・藤井聡太5冠 | 寒牡丹と冬牡丹 | 梅行脚 | 河津桜 | 桜行脚 | 孫姫4姉妹 | アジサイ行脚 | ハスとスイレン | 馬見丘陵公園の花 | 長浜盆梅展 | 奈良県の河津桜 | 三重県の梅の名所「鈴鹿の森庭園」「いなべ農業公園梅林」 | 月ヶ瀬梅渓 | 醍醐寺の桜 | 2つの「吉野の桜」 | 函館「五稜郭」の桜
2010年02月25日
XML
「3つの月の歌」(上)の続きです。

滝廉太郎は、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」、スメタナの「モルダウ」を、明治33年の時点で知っていたのでしょうか?


前回のブログの最後に挙げました上記の疑問を検討する前に、3つ目の「月の歌」についてお話致します。

滝廉太郎の「荒城の月」「秋の月」の2つの「月の歌」で連想されますのが、本居長世の名歌、「白月」(詞:三木露風)です、


照る月の 影みちて
雁がねの さおも見えずよ
わが思う 果もしらずよ
ただ白し 夜の月夜は


この歌の冒頭のメロディは以下のようです。

ラーミーレーファミー ミーシーミレーラシー
てーるーつーきのー  かげーみちーてー

この曲も、リュウちゃんが高校時代から聴いていますクラシックの曲を彷彿させるのです。その曲とは、19世紀末のウィーンの作曲家、グスタフ・マーラーが1908年に作曲しました6楽章からなる歌入りの交響曲「大地の歌」です。

この「交響曲の第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」が、本居長世の「白月」と少し似た感じをリュウちゃんが持ちましたのは、以下の2つの理由からです。

(1)「白月」の冒頭のメロディの「ラーミー」と下降する音型が、「大地の歌」の第1楽章の歌い出し直前の伴奏の音型「ラーミーレ三ラミー」と類似型である。
(2)「大地の歌」のテクストは、中国・唐の時代の詩人の漢詩をドイツ語に訳したものです。第1楽章は、李白の「悲歌行」という漢詩がオリジナルとされています。この原詩の雰囲気が、「白月」の詞の雰囲気とよく似ている。
日本では、本来、このような詩は、吟詠されるものですが、本居長世さんは、吟詠風の詩想を、マーラー風のメロディに託したものであるかのように、リュウちゃんは感じました。


メロディの音型だけで考えれば、ドイツ・ロマン派の作曲家、ロバート・シューマンのピアノ曲「交響的練習曲」のテーマも類似の音型です。

ラーミードーラー↑ラーファーミーrレードーシーミーレードーシーラー♯ソー

最近では、映画「アラビアのロレンス」のテーマ(曲:モーリス・ジャール)がメロディ類似型ですね、

ラーミー♯レファ♯ソラーミー♯レレ♭シソーラー

果たして、本居長世はマーラーの「大地の歌を知っていたのでしょうか?


本居長世は、明治18年(1885年)生まれ、江戸時代の著名な国文学者、本居宣長の6代目の子孫にあたる血筋(本居宣長といえば、現在の三重県松阪市の人、隣町の伊勢市生まれのリュウちゃん、何度か、宣長さんの自宅・鈴屋(すずのや)に行った事があります)
明治41年、東京音楽学校本科首席卒業(同期に山田耕筰がいます)後に、従来の文部省唱歌に取って代わる「童謡」の作曲家として著名になりますが、「白月」のような歌曲も、若干ではありますが残しています。
「白月」は大正10年(1921年)に発表されました。


再び、最初の疑問に戻ります。
滝廉太郎は、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」、スメタナの「モルダウ」を、明治33年の時点で知っていたのでしょうか?


滝廉太郎が、「ツィゴイネルワイゼン」を知っていた可能性は、かなりあるのではないかとリュウちゃんは考えています。その理由は、滝廉太郎が東京音楽学校に入学した翌年の明治28年に東京音楽学校の教授に就任した「幸田延(こうだ のぶ)」の存在です。


幸田延は、「五重塔」などの作品で知られています明治時代の文豪。幸田露伴の妹で、日本最初のヴァイオリニスト・ピアニスト・作曲家です。日本で最初の西洋音楽教育機関でありました「音楽取調掛」の伝習生を経て、明治22年からアメリカ、ドイツ、オーストリアに国費で音楽留学、明治28年に帰国し、東京音楽学校の教授になりました。この時、延(のぶ)は弱冠25歳、妹の安藤幸(あんどう こう)と共に、日本のヴァイオリニストの先がけとなった人です。
約7年間に及ぶ欧米への留学で、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の楽譜あるいは演奏に接した可能性は非常に大きいと思います。、明治37年に録音されたサラサーテ自身の演奏による有名なレコードが残されていますが、サラサーテはパリを中心にしまして、ヨーロッパ各地で演奏旅行をしていましたので、幸田延は、サラサーテ本人のステージを聴いた可能性さえあると思います。
当然、幸田延が帰国するにあたり、「ツィゴイネルワイゼン」の楽譜を日本に持ち込んだ可能性は、非常に大きいのです。

幸田延が東京音楽学校の教授に就任した年の前年に、滝廉太郎は東京音楽学校に入学し、明治31年まで在籍していたわけですので、当然、幸田と滝廉太郎は師弟としての交流があった筈です。25歳の若き女性教授と、16歳の思春期の青年ですから、音楽以外にも様々な感情の交流があった筈です。

それはともあれ、滝廉太郎が「荒城の月」を作曲した時点で、幸田延との交流を通じて、「ツィゴイネルワイゼン」を知っていた可能性は、非常に大きいのではないでしょうか。


スメタナの「モルダウ」はどうでしょうか?


チェコの作曲家、スメタナが「モルダウ」を作曲したのは、明治7年(1874年)
「モルダウ」を含む連作交響詩「わが祖国」がチェコの首都プラハで初演されたのが明治15年(1882年)です。「わが祖国」の中の6つの交響詩のなかで、おそらく「モルダウ」のみは、初演以降、急速にヨーロッパのオーケストラのレパートリーになって行った事でしょう。幸田延がドイツで「モルダウ」を聴いた可能性は充分にあります。だとすれば、日本に帰国するにあたり、「モルダウ」の楽譜を日本に持ち込んだ可能性は充分にあります。


「モルダウ」は、ご承知のようにオーケストラ曲です。我々が今日考えるようなオーケストラが日本に初めて誕生したのが昭和の初め頃ですから、今日的な意味でのオーケストラ演奏で、滝廉太郎が「モルダウ」を聴いた可能性はありません。しかし、幸田延あたりが楽譜を持ち込んだ可能性は充分にあるので、東京音楽学校の教授や学生などが、ピアノ用に編曲するなりして小編成で学内で演奏された可能性も充分にあると云えそうです。


つまり、滝廉太郎は、「荒城の月」「秋の月」を作曲した時点で、メロディが類似している「ツィゴイネルワイゼン」、「モルダウ」を知っていた可能性は充分にあると云えますね。


本居長世が「白月」作曲の時点で、マーラーの「大地の歌」を知っていたか?


「大地の歌」世界初演は1911年(明治44年)、楽譜の出版が翌1912年(大正元年)、最初のレコード発売が、1936年(昭和11年)ワルター/ウィーン・フィル、
本居長世と同期の山田耕筰が日本交響楽協会を結成し、日本に本格的なオーケストラが誕生したのが、1925年(昭和元年)、


「白月」の作曲が1921年(大正10年)ですので、本居長世が「大地の歌」をレコードなり、コンサートなりで聴いた事は、確実にありません、但し、長世は、リュウちゃんのようなアマチュアと違って、東京音楽学校首席卒業のプロです。当然、楽譜が読めるので、楽譜を見る機会があれば、我々アマチュアが音楽を聴く事と同じことになりますね、しかし、彼が音大を卒業した明治41年は、マーラーが「大地の歌」を書き上げたばかりの年で、楽譜出版は、この3年先です。従いまして、音大時代に長世が「大地の歌」の楽譜に接した可能性はありません。しかし、「白月」の作曲時点の9年前なので、長世が「大地の歌」の楽譜に接していなかったとは言い切れません。音大に輸入されていれば、閲覧することも出来ますからね。


以上、リュウちゃんの結論といたしましては、
(1) 滝廉太郎が、「ツィゴイネルワイゼン」を知っていた可能性は非常に大きい。
(2) 滝廉太郎が「モルダウ」を知っていた可能性は、大きい。
(3) 本居長世が「大地の歌」を知っていた可能性は、かなり小さい。しかし、可能性ゼロとは言い切れない。



滝廉太郎や本居長世のような、当時の新しい音楽のパイオニア達が、具体的にヨーロッパの新作音楽を知っていたのか、あるいは知らなかったのか、という点は差し置きまして、彼等が新しい創作を創めるにあたり、ヨーロッパのクラシック音楽の影響を、かなり意識的に取り入れたことは間違いないとリュウちゃんは考えています。


フー!疲れました。

今回のリュウちゃんの妄想は、どうもややこしい方向に向かってしまい、このブログをお読み頂いています皆様には、大変ご迷惑をお掛けしたのではないかと思います。面倒なプロローグはこれで終わりにいたしまして、次回からは、明治以来の唱歌・童謡・抒情歌で、リュウちゃんの好きな歌をズーと辿って行きたいと思っていますので、このややこしいプロローグにめげず、お読み頂きますよう、お願い申し上げる次第で御座います。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年02月25日 10時07分36秒
コメント(3) | コメントを書く
[唱歌・抒情歌・童謡] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.