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まろ0301

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2009.05.04
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 ETV特集を見ました。

 湯浅誠さんと内橋克人さんとの対談と、憲法25条をめぐる様々な事柄が紹介された番組でした。

 25条「生存権規定」は、ワイマール憲法から示唆を受けた森戸辰男氏の粘り強い努力によって憲法に書き込まれるようになった規定です。GHQ草案がそのまま現行の憲法となったわけではないのです。

 内橋さんは言っています。

 森戸さんは日本という社会のことをよく知っていた。法律という形で権利を書き込まないと制度が形骸化する社会であるということです。

 湯浅さんが続けます。

 私も2000年ごろまでは、老齢か病気で働けない状態にならないと生活保護は受けられないと思っていました。私のところに来る人たちも、まだ若くて働ける能力がある私たちが生活保護を受けられると思っていませんでしたと言っているんです。

 二人の指摘は以下のように続きます。

 産業革命以来、資本主義のむき出しの搾取は人間を潰してきた、その反省の上に立って生存権を規定しよう、そして企業にもその負担を求めようという動きが続いてきましたが、最近の新自由主義、市場原理主義の動きはそれをもう一度、元のむき出しの形に戻そうとしていることではないか。

 

 番組では、朝日訴訟、堀木訴訟が取り上げられました。

 中々弁護士が見つからない中で、弁護士になりたての新井章さんたちが弁護を引き受けます。新井さんは言っています。

 国が相手だからもしも勝ったとしたら大変なことだし、負けたとしても意味があるはずだと、深く考えもしないで、「えいやっ!」という気合で引き受けましたね。

 東京地裁判決は、生活保護の水準が酷すぎると断じ、以下のように言っています。

 

 最低限度の水準は予算の有無によって決定されるべきではなくむしろこれを指導支配すべきものである。

 

 国は即刻控訴。

 

 新井さんは言います。認識が深まりました。生活保護の水準と最低賃金制とは関連がありそうだ、生活保護の水準が上がれば最低賃金も上がる、これは他人事ではない。そのような認識が広がりました。

 生活保護の日用品費は向上し始めました。

 

 そして憲法学界にも新しい動きが出てきます。

 国が生存権を守ろうとしなかった場合に国民はこれを訴えることができる、という説が有力になって行きます。生存権は法的権利である、という学説が登場してきます。

 

 しかし、最高裁は、朝日さんの死によってこの訴訟に幕を引き、以下のように述べました。

 何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は厚生大臣の裁量に任されており、直ちに違法の問題を生ずることはない。

 

早稲田大学の中島徹教授は、

生活保護の認定問題は国会や行政機関の問題であって、裁判所が口を挟むべき問題ではないと結論を下したということになります、と指摘しています。

 

 堀木訴訟でも同じ論理が使われました。

 

 そして1973年のオイルショック以後、経済が失速すると、社会保障の1981年の臨時行政調査会の報告により社会保障費の削減が図られます。

 厚生省は、不正受給の問題を取り上げて、新たに申請する人については収入、仕送り、年金などを徹底して窓口で調査するように指示、協力しない申請者に対しては申請を却下したり、保護を停止したりする事となりました。

その結果、生活保護を受ける人の数は激減、1987年には生活保護の申請を拒絶された母親が餓死するという事件がおきています。

 

 中島教授は語ります。

 生存権が実現されるかどうかは立法府と行政の問題ですから、財政的な基盤が弱くなった政府が生活の基盤を失った人たちを切り捨てるという事を行ってもそれは裁判所によって放置されるということになるわけです。

 

 2001年小泉内閣が発足、自助と自立を求めて社会保障費の削減を進めていきます。国は、この時期になって増え始めた生活保護の件数に対応するために生活保護の水準の切り下げに着手し始めました。また規制緩和が進められ、2004年に派遣法が改正され、製造業の派遣が解禁となったのです。非正規労働者が急速に増えていきました。

 そして2008年の金融危機に直面し、派遣労働者の解雇が相次ぎます。

 いま、年収200万円以下の勤労者は1000万人を超えています。

 

 内橋さんは言います。

 時の財政状況によって生活保障の水準は規定されるというけれど、ワイマール憲法では財政状況に左右されない経済的な裏づけを持つべきであるということです。時々の財政状況に左右されるような国家の義務であれば、国民の権利は保障されないということになります。

 二人の対談は、「企業内福祉」の問題に移ります。

 企業の力が非常に強い日本社会の中で、これまでは企業に対する忠誠心との引き換えに福祉が与えられたわけですが、不況の中で企業が「もうやめます」と言い出したら、それを認める環境を作ってしまったわけです。

 企業の福祉に頼ることを止めた時に本来国がしなければならないことを考えてこなかったんじゃないか。国が果たさねばならない役割という事を考えてこなかったんじゃないか。

 

 新自由主義の経済学は効率一辺倒だといわれていますが、それは違うんじゃないか、本当は非効率じゃないか。人間の生存コストを考えに入れていないという点では大変な非効率じゃないか。人間を切り捨てて、社会福祉の受け手としてしか生きていけないようなことをやっていて何が効率だということになる。

 

 四月の派遣村には与野党の議員たちが参加、具体的な措置が進みつつあります。

 

 しかし、と湯浅さんは危惧していることを語ります。

 現在、大変だということでセーフティネットの構築が進んでいますが、それだけをやると、必ず、「なんであいつらだけ」という揺り戻しが来る。その時に、アメリカで行われているような生活保障を受ける人は同時に働く義務を課されて、最低賃金の枠も外された途方もなく安い賃金で働かされるというようなことが日本でも起こってくる可能性はあります。これはもう貧困は犯罪そのものであるという考え方ですね。 

 

 内橋さんは言います。

 19世紀の貧困に対する考え方は、「貧困は罪」ということで、貧困者を強制収用して強制労働をさせるわけです。それに対して批判が起こり、貧困は個人の責任、怠惰とは関係がない、それは社会的なひずみがもたらしたものであるという考え方が20世紀に入ってから強くなっていくわけです。

 日本で、再び「貧困は犯罪」ということでやっていくのなら、その後に来るのは監獄社会です。そのことによる社会的費用負担はもっと大きくなる。

 

 湯浅さんは語ります。

 市民としての正しい怒りの出し方を学ぶ必要があると思って「活動家を養成する学校」を始めました。いま、怒りがあってもそれが自分に向かってしまう。リストカットをしたり、稀な例ですが秋葉原のようなことも起きてしまう。

 

 内橋さん。共生セクターを立ち上げたい。FEC(food energy care)自給圏を実践している地域が出てきている。

 

 湯浅さん。市場原理主義に晒されない場所をたくさん作って生きたい。国家や経済に呑み込まれない、それによって国家も社会も良くなっていくような。

 

 意義深い番組でした。原点となるように指摘にはっとさせられました。






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Last updated  2009.05.04 21:53:49
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まろ0301@ Re[1]:ドラマ「舟を編む」(03/27) maki5417さんへ 正社員二人というのは、…
maki5417@ Re:ドラマ「舟を編む」(03/27) 私も見ています。 キャスティングを見てど…
まろ0301@ Re[1]:ドラマ「舟を編む」(03/27) 嫌好法師さんへ 「なんて」の語釈。 […
嫌好法師@ Re:ドラマ「舟を編む」(03/27) ある人から勧められ私も今ハマっています…
まろ0301@ Re[1]:大二病なのか?(03/20) maki5417さんへ 確かに「詳細につきまし…

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