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2006.01.02
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カテゴリ:MyLife&Fashion
幼少期の記憶は、よく覚えている人と、全くといってよいほど覚えて
いない人に分かれるようだ。
なぜか、ワタクシは、幼少期の記憶がとても鮮明で量が多い。
昨日は小学校1,2年生時の記憶がほとんどないと書いたが、それはワタクシ
の他の時期との比較であって、ワタクシの最初の記憶はなんと3歳時である。

当時、ワタクシの家族は、町田にあった長屋に住んでいた。
風呂と化粧室は無く、6畳2間。トイレは水洗ではなく、湯沸器なんて
テレビコマーシャルでしかお目にかからなかった。そうそう、電話機が
自宅にないので、必要な時は大家まで借りに行っていたのだ。
今では信じられない生活だが、それが普通だったから不満はなかった。
そんな時代であった。

三歳児でも、その頃の記憶は実に鮮明だ。

隣に住む家族が金魚を玄関口に出していた時、じっと泳ぐ姿を見つめて
いた。そのうち、尾ヒレを動かすから魚は泳ぐことが出来るのだと発見
し、ヒレの動きを覚醒の眼で観察していた。
どれだけ時間が経ったか、微動たりしない幼児を相手にしないかの如く
猫が金魚を狙って、いわいるCatwalkで近づいて来たのも覚えている。
当時のワタクシは無知で、猫が金魚を食べるということを知らなかった。
ただ、猫が放つただならぬ緊張感は感じることができた。幼児は直感面で
非常にすぐれているのだ。 幸い、隣のおばさんが、遠くから唸り声を
上げたため、金魚は一命を留めた。

近所のドブ川にザリガニがいたのを覚えている。
また、大家が小規模な畜産をしていて、母と、豚を見にいった。ワタクシの親は
情操教育を全く行わず、動物園に連れていかないで、近所の豚を見せて
ごまかしていた。
大家の所有車だと思うが、3輪のトラックを覚えている。象みたいだと
感じていた。

食事は貧しく、牛乳を日常的に飲むことはなかった。そのためか、ワタクシは
背はある程度伸びたが、手足は短めである。
(成長期に栄養の余剰あると、ヒトは、手足や乳房など末端が成長でき
やすいという説がある。)
おかずは粗食そのもので、漬物が主である。幼児のワタクシは大抵の子供が
そうであるように、漬物を好まずふりかけをねだった。 ふりかけがない
時は塩をかけて飯を食べた。
メロンとパイナップルなる果物は、当時は贈呈品の地位で、どこからか
メロンを頂いた時に、母が棚に飾ったのを覚えている。 マスクメロンの
幾何学的な模様を何日も目で追った。

母に怒られ、かんしゃくを起こし、大切にしていた馬のぬいぐるみの
首をちぎってしまった。中から砂のように細かい木屑が溢れ出た時は
初めてだったので大変驚いた。

風呂は銭湯に通った。日がまだ出ている夕方に、長い登り坂を徒歩し、
大抵は母と女湯に入った。風呂上がりに瓶のリンゴジュースを飲ませて
貰った。ワタクシにはキャップが上手く開けられず、いつも母に手伝って
もらっていた。
父が休みの日には、父の運転するカブ(新聞屋さんが使っているスクー
ターのこと)に乗せて連れていってもらえた。 帰りは長い降り坂を滑走
した。父の前に座り、右手のアクセルを握らせてもらえた。今考えれば
その時父はギアをニュートラルに入れていたのだろう。 低温の暗闇に
カブのエンジン音が響いていて、ワタクシは覚醒の頂点に達した。
話しを風呂場に戻すと、男湯では何人かのおじさんの背中の絵に興味を
もった。竜の入れ墨を「ヘビだ!」と叫んでしまったこともあった。

父が、母やワタクシをよく殴ったことも鮮明だし、姉が、ママゴト遊びをして
くれたことも事細かに覚えている。


このように、ワタクシは異常な程に幼児期の記憶がある。
反対に、血を分けたワタクシの姉は全く記憶が無いそうだ。
これが精神学的にどのようなことなのか興味がある。


横尾けいすけ





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最終更新日  2006.01.02 22:49:33
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