カテゴリ:松井冬子
画家 松井冬子 今回は訂正事項となります。 それは、以前の記載の「松井冬子(第2章 主張の概要)」にて、 「血やはらわたを繊細に描く事に・・・」という一文を記載しましたが、正確ではなかったということです。 確かに、松井冬子のデビュー作ともいうべき「世界中の子と友達になれる」には血が画かれていました。少女の白い手と足の指先に、血液が画かれていたのです。しかし、その後に画かれる数十の作品には、血液は画かれていないのです。 今回の横浜美術館で展示された全作品を注意深く観ると、腑(はらわた)は画けど、血は見当たらないのが分かります。血液なのか、赤みを帯びた肌なのか微妙な作品は1,2点ありますが、それも極力血液として画いていない。 なぜでしょうか。“その内側でさえも真実であり、美なのだ” との主張と反するようにも感じます。 確かに血液も腑と同様、内側であり真実です。なのに松井冬子は、血を避けるが如く、画こうとしなくなりました。 この件に関する、冬子の説明は見当たりません。私が思うに、作品の女を汚れた姿にしたくないからだと思います。冬子は自分の作品に登場する女を愛しています。「そんなことはクリエーターとして当たり前だ」と言うこと無かれ。私は文筆家でも主人公をトコトン不幸に追いやって、THE ENDの小説を知っています。 冬子は作品の女を愛するがために、血で汚したくないのです。 血に対する印象は、男女で異なります。女性は月経が身近なために、血液から老廃物を連想するのです。これは、男性には気付かない感覚です。 愛する女という肉体を汚したくないがために、血を画かないのです。 松井冬子展 ー世界中の子と友達になれるー 横浜美術館 201112/17~2012/3/18 http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2011/matsuifuyuko/outline.html 横尾けいすけ Yokoo Keisuke mail to keisuke450@gmail.com お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.02.09 19:07:30
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